葉隠武士道から学ぶ日本人のあり方1.

From : 田渕裕哉(2011/09/26 06:59:52)

おはようございます。今朝は涼しい千葉からです。
夏が終わり、秋が来ましたね。秋は独特の感じがします。

3連休は如何でしたか?私は今日から、また1週間、十条にいます。

「三河物語 葉隠」の中に「武士道とは死ぬことと見つけたり」
という言葉があります。

私は、この言葉こそ日本人の魂、すなわち大和魂だと感じます。

死んで生きる、つまり最悪の死を受け入れて、
最高に生きるという考え方です。

死ぬのを恐れて生きている人と、死を恐れずに生きている人と、
どのくらい生きるエネルギーが違うでしょうか?

人は誰でも生きたいと思います。

だから、生きるほうに理屈をつけようとします。

それでは、武士の世界では、腰抜け侍になってしまいます。

「葉隠」には、「毎朝毎夕、心を正して死を思い、死を覚悟し、
常に死と一つ身になっていれば、武士道も我が身と常に一つで自在となり、
一生落ち度なく、武士として我が身に与えられた職務を
やり遂げられるだろう」と書かれています。

「死んでしまっては元も子もない」というのも分かりますが、
この自分の信じた道を命をかけて進む覚悟、力こそ、
社会を守る原動力だと感じます。 

 

徳川光圀は、真の武士は、いたずらに死を求めるべきではない
と少し違った見方を紹介しています。

「戦場に飛び込み、死ぬのは簡単であって、
身分の低い者でもだれでもできることである。

生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬのが真の勇なのである」

犬死は軽蔑されるということです。

しかし、徳川光圀の立場からすると、
有能な武士が死ぬことは非常に残念なことでしたので、
この言葉の意味も理解できます。

しかしながら、真に強い武士、恐ろしい武士は、常に死を覚悟して、
真っ先に危険を冒して飛び込んでいく者ではないでしょうか?

死を恐れず、命をかけて殿様にも諫言するので、
殿様も恐れて悪政はできないのです。

葉隠のような武士道があってはじめて
武士社会も凛とするのではないでしょうか?

明治維新の吉田松陰や坂本龍馬たちもそうでした。

彼らは、死んで生きている人たちでした。

国を守った特攻隊員たちもそうでした。

彼らは、自分の命を惜しまず、死を覚悟して生きた人たちでした。

この精神こそが、日本人の根底にある「大和魂」の精神です。

田渕 裕哉

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コメント

葉隠武士道から学ぶ日本人のあり方1.

  1. 佐野 浩一 より:

    いつもメルマガ楽しんでます。
    私も「武士道」は好きです。
    肉体は滅んでも「意志」は受け継がれていく精神とも
    思います。
    私の大好きな戦国武将は「真田幸村」です。
    徳川側の兄と対立することになっても、
    大阪の陣で不利である豊臣側
    についた意志「義」に感銘を受けます。
    ビジネスの世界も共通するものとも思います。

  2. 田渕裕哉 より:

    いつも読んでいただきありがとうございます。真田幸村ですか。いいですね!私も好きです。武士道こそが、日本人の魂です。この素晴らしい精神を世界に発信しましょう。田渕