葉隠武士道から学ぶ日本人のあり方5.

From : 田渕裕哉(2011/09/30 07:02:53)

おはようございます。今日が十条で仕事をする最終日です。

昨日は、2回、同じメールが送られてしまい申し訳ありません。
今後、このようなことが二度とないように気をつけます。

よく「無心になれ」とか、「無念の境地になれ」とか言われますが、
それは、言われた人からするとかえって分からなくなると葉隠は教えています。

言っている人も無心になったことがないから
気安くそういうのかもしれないと嫌味のようなことまで言っています。

今日は「本当の無心とは?」について考えます。

無心になって勝負に挑んだり、芸術に打ち込んだり、
できればそれは理想に違いないですが、具体的にどうしたらいいか?ということです。

ここで葉隠は、無念とは正念のことで、正しい思い、目標のことであると述べています。

つまり、正しい思いや目標を定めて、そこに向かって一生懸命に
日々自分を鍛えていくことの先に「無念」があると教えています。

ただ無になるのではなく「正しい思いと目標にひたすら打ち込む」という実践がまずあって、
その境地の先に「無心」になる心が生まれると言います。

 

実教卿(さねのりきょう)も「一呼吸の中に邪念を含まないのが道である」と
同じようなことを言っています。

つまり道理は一つであり、純一になるということは、
努力、修行を積み重ねていかないとできないのです。

宮本武蔵は五輪書の中で、理想の境地を「空(くう)」にあるとしています。

「自分だけの一人よがりで決めることなく、まっすぐなことを根本として、
正しい実の心を道として兵法を広く行い、正しく、明らかに、
大きなところから思い考えて、一切の迷いや思い込みをなくした「空(くう)」こそが、
兵法の目指す道であり、鍛錬によってすべての兵法の道が備わって「空」の境地に至る」

葉隠の言いたいことと同じですね。

このように「空」とか「無心」「正念」「純一」というのは、
日々の鍛錬を乗り越えていく者の境地ということになります。

奇しくも一昨日、新大関の琴奨菊は、同じ五輪書にある
宮本武蔵の「万里一空」という言葉を使いました。

元プロ野球の桑田真澄氏の座右の名でもあります。

「すべての理(ことわり)は、一つの空(くう)に帰する」という意味です。

つまり、目指す先は一つなのだから、目標を見失うことなく努力すべし!です。

田渕 裕哉

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