死を意識する生き方4.
From : 田渕裕哉(2013/03/28 07:00:43)
おはようございます。今朝はいい天気の福岡からです。
今日13:30~15:30に東横イン博多駅南の会議室にて、
「アンチエイジング・ビジネス」セミナーを開催します。
参加無料ですので、お時間の都合が合えば、お気軽にご参加ください。
あなたに質問します。
「あなたが今抱えている悩みは、たとえ人生最後の日であっても深刻ですか?」
さらに質問します。
「もしあなたが一夜にして1億円の借金を背負い、裁判に巻き込まれ、
命まで狙われるようになったら平常心でいられますか?」
実は、実際にそんな状況になっても、人生を楽しんでいた男がいました。
幕末の革命児、坂本龍馬です。
「これからは、カンパニーじゃあー」と、
意気揚々と貿易会社・海援隊を立ち上げた龍馬。
龍馬、当時32歳。
その最初の船出で、いろは丸は紀州和歌山藩の蒸気船・明光丸に激突し沈没しました。
龍馬たちは明光丸の過失を主張。
しかし、相手は江戸幕府の徳川御三家、天下の紀州藩です。
でも龍馬は、ひるみませんでした。
龍馬は何をしたのでしょうか?
なんと歌を作り歌を歌ったのです。
街でもみんなにその歌を歌ってもらい、この事件に注目を集めて、
紀州藩を逃げにくくさせました。
「そんなに逃げていると金を取らずに国ごと取って、
和歌山のミカン食べちゃうぜよ、よさこい、よさこい」という歌です。
そして事故から1ヶ月後、
紀州藩は海援隊に今の億単位の賠償金を払うことで事件は解決しました。
そのお金を岩崎弥太郎が引き継ぎ、
そこから三菱グループが生まれたのは有名な話です。
大ピンチを歌を歌うことで大チャンスに変えたわけです。
「なんでも思い切ってやってみろよ。どっちに転んだって、
人間、野辺の石ころと一緒。最後は骨となって一生を終えるのだから。
だから思い切ってやってみろよ」
これが龍馬が生前残した言葉です。
この言葉どおり、龍馬は、どんな事態でも深刻にならず、
人生を冒険として生き抜きました。
深刻になったら、負けぜよ。最後は骨になるだけぜよ。
人生5万年じゃないんだ。たかが数十年。だったら、思い切り生きようよ。
大丈夫。人生最後の日から見たら、すべての悩みは懐かしい思い出になりますから。
つまり、あなたは、今「懐かしい思い出」に悩んでいるわけです。
田渕 裕哉
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