なんとなくの法則4.

From : 田渕裕哉(2014/09/11 07:57:37)

おはようございます。今朝は札幌からお届けしています。
 
昨夜は大変でした。寝たのが夜中の2時過ぎでした。
そのあと、避難勧告の緊急速報メールで何度も起こされました。
今日は札幌でいくつかのミーティングがあり、夜は千葉に戻ります。
 
 
なんとなくの法則4は「たましいを理解する」です。
 
「おてんとうさまが見てるよ」という感覚がなんとなくわかる私たちの、
天来の魂について考えてみたいと思います。
 
昔は、体は「頭」「両手」「両足」「胴体」、そこに「魂」を足した5つで
構成されていると考えられていました。
 
だから、死んで「魂」が抜けたものを「四体」=「死体」と言うのだそうです。
 
つまり体は「魂」を入れる容器で、
魂があってこその私たち人間だと捉えられていたのです。
 
そして、その中心になっている「魂」という言葉には大切な意味が含まれていました。
 
魂=「たましい」という言葉は「たま」と「しい」に分けられます。
 
「たま」とは「御霊=みたま」のことで「みたま」とは天であり、
すべてのもとのことです。
 
私たち一人一人の内にある「みたま」は、植物でいう種と同じことです。
 
それは、種の中には、根、幹、葉、花、実、などの情報がすべて入っています。
 
つまり、みたまには、その人自身の役割を生きるための情報すべてが入っているのです。
 
ですから「たま」は持って生まれたとおり、
自分がこの世に生まれてきた役割をただ果たそうとするものです。
 

 

 そして、もう一つの「しい」とは、各自の心や感情のことを表しています。

 
「うれしい」「かなしい」「ほしい」「惜しい」「悔しい」「楽しい」など
感情を表す言葉には「~しい」がついていますよね。
 
このように、私たちはこの天来の「たま」と、
心や感情である「しい」の両方を持たされて生まれてきます。
 
この二つで「魂=たましい」というのです。
 
「たま」だけでは自覚はなく「しい」を伴うことによって、
この世に生まれてきた役割を果たそうとします。
 
ですから、肉体を持ってこの世に生れることで「しい」である心と一緒に、
この世の働きができるのです。
 
心がなければ、天来のよきものを感じたり喜んだりすることはできません。
 
「たま」どおりに生きて「うれしい」と喜べること、「たま」どおり生きることが
できず「むなしい」と思うことも、どちらも人としては大切な感情です。
 
悲しいと感じることができるから喜ぶことのうれしさを知り、
むなしいと感じるから楽しく正直に生きたいという思いを感じるわけです。
 
ですから、なぜ「たま」だけでなく「しい」である心を持たされたかというと、
人生を味わい深く喜びながら、人は「たま」どおりに生きるために
「しい」である心を使うためです。
 
田渕 裕哉
 
 
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