From : 田渕裕哉(2026/09/11 07:55:48)
2026年9月11日(金)
おはようございます。今朝は雨の千葉からです。
若さが幸福を求めるなどというのは衰退である。
三島由紀夫
「肉」はどちらかといえば遊びのことなのです。
そして精神に使われる言葉が「骨」だということです。
このような生き方を古来「骨力」と呼んできたのです。
その骨力を創り、骨力によって人生を切り拓く者が、
人生で初心を貫くことが出来るということなのです。
この世で一番美しく、この世で一番価値があるものは
何かというと、それは「初心」だと言っています。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2026/09/10 07:59:36)
2026年9月10日(木)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。
初恋に勝って人生に失敗するというのは良くある例で、初恋は破れ
三島由紀夫
骨のある人物の「骨」というのは人間の運命を掴んでいる強い姿勢
私はそれを「骨力」という言葉で語りたいのです。骨力というのを
と私は名付けています。
運命の生命力です。ただの生命力ではないのです。自分の運命がも
よく「骨のある人間」と表現されますが、それはどういう人間かと
まず自己の骨を削り、骨を砕いて自己の運命を切り拓く人というこ
From : 田渕裕哉(2026/09/09 07:57:19)
2026年9月9日(水)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。
アイデンティティーとは指紋である。
最終的に一つあればいいんだ。
三島由紀夫
幸福になろうとすると、途端に人間というのは防御的になるのです
特に子どもの幸福を考えると、自分でも驚くくらい気が弱くなる。
欲なのです。
子どもが不幸になっても、何でもない。それは仕方のないことです
人間は自分ですから、自分の責任で幸福になっても不幸になっても
すべて自己責任です。
自分がもう不幸でいいと決めると、人生というのは自分の思ったこ
を決断して生きられるということです。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2026/09/08 07:04:03)
2026年9月8日(火)
おはようございます。今朝も雨の千葉からです。
人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、
人間はどうして生に耐えることができるだろう。
三島由紀夫
「そうは言っても自分が折れてしまうこともある」と言う人がよく
でも、そういう人は実は自分のことを考えているのです。
だからそういうことがあった場合は、愛する人のこととか、愛する
考えるとか、国家のことを考えるとか何でもいいんですが、自分以
もののことを考えていくと、必ず立ち上がることが出来ます。
落ち込んだり自分の骨が折れる感じがあるとするなら、全部必ず他
所にその考え方を移していくと、立ち直ることは誰でも出来ます。
認められようとすると、皆さんも経験があると思いますが、言いた
言えなくなります。何も喋れなくなるのです。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2026/09/07 07:53:11)
2026年9月7日(月)
おはようございます。今朝は大雨の千葉からです。
空虚な目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福
三島由紀夫
「葉隠」で重要な言葉があります。
「不仕合せの時、草臥(くたぶ)るる者は益(やく)に立たざるな
これは不幸なときに落ち込んだりするような人間は、もう駄目だと
ことです。
もっと言えば、駄目だと言う前に自分の生命が全然生きていない証
もともと落ち込む人とか、くたびれてしまう人などは、やはり他人
を求めて生きているだけなのです。
要は他人に認められなかったとか、そういうことで落ち込んでいる
From : 田渕裕哉(2026/09/06 06:34:31)
2026年9月6日(日)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
人間はあやまちを犯してはじめて真理を知る。
三島由紀夫
私は子どもの頃から「万葉集」が好きで読んできたのですが、
辞書を引いたことがないという経験があります。
ただ好きだから読んでいる。
そうしたらある日「万葉集」に出て来る古代の人々、柿本人麻呂
などと私は本当に対話ができるようになったのです。
私は本の行間には、魂が入っているのだと確信していた。
柿本人麻呂も、大伴家持も旅人もなぜ歌を作ったのか、その作った
ときの情景、歌で何を伝えたかったのかが、すべて分かるようにな
From : 田渕裕哉(2026/09/05 07:17:31)
2026年9月5日(土)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。
現状維持というのは、つねに醜悪な思想であり、
また、現状破壊というのは、つねに飢え渇いた貧しい思想である。
三島由紀夫
「自己を超克する」と、人生で何事かに挑戦する生命と運命が出来
そういう境地を私の好きな「葉隠」の言葉で言うと「同じ人間が誰
という真の意味となるのです。
人間は何でも出来るという、本当の確信が自分の中に出てくるので
生命が生きればそうなる。
「葉隠」の中にもありますが、武士道を本当に貫徹するには、武士
羨んでいるようでは駄目なのです。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2026/09/04 07:53:37)
2026年9月4日(金)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
腹張りて苦しき中に明烏(辞世の句)
山岡鉄舟
自分の生命が本当に生きると、自分の成功も不成功も、幸福も不幸
そういうことが本当になくなります。
自分で頑張ってなくそうとしてもなくならないのですが、自分の生
が生きるようになれば、結果論としてなくなってしまうのです。
言い換えると幸福になりたいとか成功したいと思っていない人、自
は不幸でもいいから何かやりたいと考えている人は、割と生命は
生きているということなのです。
自分の幸せというのは、結果論でそうなるものはいいのです。
自分から求めてそうならなければいい。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2026/09/03 07:55:32)
2026年9月3日(木)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。
善きところはどしどし取って、これを食い、かつこれを消化して、
もしわが日本国体には、食中毒と見たなら、我が国の領海に着かな
山岡鉄舟
自分が燃えれば人の役に自然に立ってしまい、国の役にも立ってし
もちろん会社や社会の役にも立ってしまうのです。それが分からな
ならない。
そのためには自分のため、成功、幸福、保障などを求めてはならな
ということです。
もちろん現代はこのような保障社会ですから、燃える生命になって
自然に入っては来るのでしょう。
でも要するに、自分からそれを求めてはならないということです。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2026/09/02 07:57:40)
2026年9月2日(水)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
真理であるものは彼とこれとを隔絶分割するものではない。
しかもよくかれこれ相通じて存すること、彼の太陽の幽谷と村落と
しかも幽谷にあっては幽谷を照らし、村落にあっては村落を照らし
山岡鉄舟
自分独自の生命を育んでいると、独自の運命を生きられるようにな
まず、自己の生命の燃焼だけに価値を絞る。それはエゴイズムでは
エゴイズムとは、自己のために他者を踏み付けることを言います。
人間というのは、エゴイズムに陥ったら自分で自分の生を生きるこ
自分の「得」ばかり考えていたのでは、結局、他人の世話になって
カテゴリー
アーカイブ