超葉隠論37.

From : 田渕裕哉(2025/03/15 07:44:23)

2025年3月15日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得14.
指導者は何ごとに対しても深い感謝報恩の念を持たねばならない。

永久恋愛とは、無限の彼方に向かう遠い憧れに生きることを言う。

憧れは、遠いともしびを見つめて生きることに他ならない。

遠いともしびを見つけることは、魂の崇高さを仰ぎ見続けることと
言ってもいい。

その生き方の中から、特に憧れの地上的展開を重んずる事柄を永久
恋愛と名付けているのだ。

これは恋愛の本質である宇宙的実存の地上的展開と表せるものでもある。 >>続きはこちらから

超葉隠論36.

From : 田渕裕哉(2025/03/14 07:13:25)

2025年3月14日(金)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

指導者の心得13.
指導者はいいことよりも悪いことを喜んで聞くようにしたい。

私は死ぬ日まで、体当たりを徹底的に続ける所存である。

それが出来るのは、自己の人生が中途挫折でよいと思っているからに他ならない。

未完の人生、中途挫折の人生を受け入れることによって、真の体当たりが生まれる。

人生で勇気が最も大切なものだと言われる所以がここにある。

犬死を受け入れて生まれる勇気こそが、生命の完全燃焼を成し遂げさせてくれるのだ。

これを阻害するものが、現代を覆う成功思想と幸福思想である。

それらの考え方が、無闇と他者に認められたいと思う心情を生み出す。 >>続きはこちらから

超葉隠論35.

From : 田渕裕哉(2025/03/13 07:12:28)

2025年3月13日(木)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得12.
指導者には適度のきびしさとやさしさが必要である。

葉隠は未完の人生、つまり犬死の人生を受け入れることを要求している。

人間として真の自由を得るか、また屈従の日々を選ぶかの問いを突き付けている。

パトリック・ヘンリーは「自由か、しからずんば死か!」と言った

生命が真に生きるには、基本的に命懸けの自由を得る必要があるのだ。

命よりも大切なもののために生きてこそ、初めて人間の人生と言えるものが出来る。

犬死や中途挫折、つまり未完の人生を恐れたら、すでに挑戦すら出来ないことになるだろう。 >>続きはこちらから

超葉隠論34.

From : 田渕裕哉(2025/03/12 07:59:15)

2025年3月12日(水)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

指導者の心得11.
指導者は自他相愛、共存共栄の精神を持たなくてはならない。

葉隠は、自らのもつ徹底的な不合理によって、却ってこの世の合理に敵ったもの
ともなっている。

徹底的な思想と行動は、陰陽逆転を招き、徹底的な科学性すら生み出すのである。

葉隠とは、その不合理さえ信ずれば、このような力を内包する書物なのだ。

「我々は聖霊に向かっていくのだ」これが葉隠の「永久燃焼論」なのだ。

死に向かって、生の限りを尽くす体当たりの貫徹ということである

聖霊に向かって行くとは、崇高な死を迎えたいということである。 >>続きはこちらから

超葉隠論33.

From : 田渕裕哉(2025/03/11 07:54:17)

2025年3月11日(火)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

指導者の心得10.
指導者は人、物すべての価値を正しく知らねばならない。

我々人間は、宇宙の本源である愛に生きることに最大の「正義」がある。

愛に生きるとは、真の生命燃焼を抱き締め、死の崇高を仰ぎ見て生きる
ことに他ならない。

現世の毀誉褒貶などに動かされることなく、自己に与えられた生命の喜び
と魂の崇高に思いを馳せなければならない。

カントは「目的のない合目的性」と生命論で表現した。

本当の生命の力とは、目的をもたないほうが、却って目的に沿って生きる
ことができるという考え方だ。 >>続きはこちらから

超葉隠論32.

From : 田渕裕哉(2025/03/10 07:56:00)

2025年3月10日(月)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得9.
指導者は大事にいたれば、度胸をすえてそれにあたることである。

簡単に言えば、現世の利益の少ない道のほうを選ぶということに尽きる。

決意さえあれば誰にでも出来る簡単なことと言えなくもない。

得をしようと思うから、迷うのである。

みじめでも何でも、生きたいと思うから迷うのだ。

葉隠は、前もって高貴で崇高な死に方とそこから生ずる生き方だけ
説いている。

それ以外の生を欲しなければいいのだ。 >>続きはこちらから

超葉隠論31.

From : 田渕裕哉(2025/03/09 06:47:39)

2025年3月9日(日)
おはようございます。今朝は昨晩の雪が少し残っている千葉からです。

指導者の心得8.
指導者は危機にあっても冷静でなければならない。

「早く死ぬほう」とは、現世的な「得」を捨てたほうということである。

そして自己の死に方と生き方を取るという道のことなのだ。

つまり、苦しい道、困難な道、悲哀を含む道、悲痛の待っている道という
ことになるだろう。

それらが、人間の生命の本質である限り必ずそうなるしかないのだ

辛く悲しいことだけが、自分の生命の本当の価値をこの世に現世させてくれる。

そして現世の物質界や他者の評価を受け難い道ということでもある>>続きはこちらから

超葉隠論30.

From : 田渕裕哉(2025/03/08 07:23:45)

2025年3月8日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の7.
指導者はつねに自分の考えを訴えなければならない。

燃える生命を支える力が、冷たく静かな負のエネルギーによって
もたらされていると分かる必要がある。

葉隠に生きるとは、そういうことに挑戦する人生でもあるのだ。

負のエネルギーが、計測不能の「流体」として我々の見える世界
を支配している。

それはすべての物質の中に浸潤し、その物質の生命を生かしても
いるのだ。

その浸潤を感ずることが出来れば、自己の生命は完全燃焼に突入
していくだろう。

そうすれば、死を想うことが生を生かすことに繋がっているのが
認識されるに違いない。

そして葉隠が、未来に向かう流体そのものであることを理解する
だろう。 >>続きはこちらから

超葉隠論29.

From : 田渕裕哉(2025/03/07 07:33:36)

2025年3月7日(金)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得6.
指導者には何ものかに祈るというほどの真剣な思いが必要である。

私の根本思想は、死が生より尊いことによって成り立っている。

だから死者は生者より尊い。

そして、まだ生まれ来ぬ未来の人間たちも現世の我々より尊いのである。

このような、死の絶対性こそが、葉隠という武士道の思想の根幹を支えて
いるのだ。

葉隠の魂を見つめれば、現世の自己の存在を捨てることによって、
過去と現在、そして未来をすら見通すだけの思想をもつことが出来るのである。

葉隠の思想は、時間というものを超越している。 >>続きはこちらから

超葉隠論28.

From : 田渕裕哉(2025/03/06 07:10:45)

2025年3月6日(木)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

指導者の心得5.
指導者には命をかけて事にあたるほどの心境が必要である。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」

私はいつでも、この言葉によって救われてきた。

弱くなったとき、自己の魂とその使命を忘れることを、
止められたのだ。

再び、体当たりの精神が甦り、私は「人間」の生き方の
原点に戻ることが出来たのである。

私のもつ人生観のうち、最も美しくまた崇高な生き方を、
私はこの葉隠の第一戒からいつでも汲み上げ続けている。 >>続きはこちらから