超葉隠論134.

From : 田渕裕哉(2025/06/20 07:59:05)

2025年6月20日(金)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

控え目であるためには、その前になにかに立ち向かうことが必要です。
オードリー・ヘップバーン

今まで述べたことを、本当に断行するためには、過去の人々の精神と未来に
生きる人たちの魂を掴まなければ決して出来るものではない。

そして、この死ぬ日まで体当たりを続けた人間だけが、プロチノスの思想
と交叉することが出来るのだ。

プロチノスは「偉大にして最後なる戦いが、人間の魂を待ち受けている」と
言っていたことを思い出されたい。

自己の魂の永遠を自覚すれば、我々は宇宙の根源的実在とその魂において
出会うことが出来るのだ。

人間の魂とは、宇宙の実在そのものなのである。 >>続きはこちらから

超葉隠論133.

From : 田渕裕哉(2025/06/19 06:41:53)

2025年6月19日(木)
おはようございます。今朝もいい天気の博多からです。今日は熊本でセミナーです。

苦しみを経験するから幸せの有り難みが分かる。苦しむことは幸せになるためのプロセス。
美輪明宏

高慢や傲慢という地上的な悪徳を乗り越えて、本当の人間としての
自分の価値が分かって来ると言っていいだろう。

そうすれば、歴史上のいかなる人間が成し遂げたことも、必ず自分
にも出来るのだということが認識できるようになる。

それが自分などというちっぽけな存在を通り越して、宇宙の実在
の力によって成されるのだと、諒解できるからに他ならない。

自分という存在は、途轍もない愛の力と自由の力、そして運命とい
力によって成り立っていることが腑に落ちるのである。

そのとき、我々は高慢な自己から解放され、初めて自由の大空間に
向かって羽ばたくことが出来るに違いない。 >>続きはこちらから

超葉隠論132.

From : 田渕裕哉(2025/06/18 06:57:50)

2025年6月18日(水)
おはようございます。今朝はいい天気の博多からです。

人生とは、人生以外のことを夢中で考えているときにあるんだよ。
ジョン・レノン

魂の価値だけに向かって、死ぬ日まで体当たりを続ける。

前後左右を考えず問答無用に、やってやってやり抜くことが超越的日常を創る。

そして死んでからは魂魄と成り果て、現世のころ以上にやり抜くことに尽きる。

このやり抜く過程において、過去の自己存在もそうしていたことに気付くことがある。

またそうならなければやり抜けるものではない。

そこまで来れば、もう今の自分が未来も自分自身として生き続けていくという実感
を得られるのだ。 >>続きはこちらから

超葉隠論131.

From : 田渕裕哉(2025/06/17 05:39:32)

2025年6月17日(火)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。今日は鹿児島でセミナーです。

俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ。
坂本龍馬

自己の存在は永遠であり、その永遠がこの世において違う永遠と交叉しているのである。

葉隠の第十戒とは人間をこのような宗教的境地の頂点まで引き上げる働きをもっているのだ。

自己の本当の価値を知るとはこのような心を言うのである。

それを表現する言葉は、洋の東西を問わず、偉大な宗教家の言葉しかなくなってしまう。

この葉隠の第十戒に潛む「超越的日常」から生まれる、私の養常の思想の根源に、道元の
この思想は横たわっているのだ。 >>続きはこちらから

超葉隠論130.

From : 田渕裕哉(2025/06/16 07:22:44)

2025年6月16日(月)
おはようございます。今朝は越後湯沢からお届けしています。今日は沼田市でセミナーです。

高い志と熱意を持ち、少数だけでなく、より多くの人々との共感を持てれば、
どんなに弱い者でも事を成し遂げることができるでしょう。
津田梅子

ブーバーは「運命は自由の限界ではなく、その成就である」と言っている。

その意味は、自己の本当の運命を知れば知るほど、自分の自由は無限に
向かって飛翔して行くということだ。

先述した運命のもつ自由性をブーバーもまた認識して行くということだ。

愛に支えられて、我々人間の運命と自由が躍動するのである。

このブーバーの哲学と同質のものを、中世の日本において説いた大宗教家が、
あの偉大な道元なのだ。 >>続きはこちらから

超葉隠論129.

From : 田渕裕哉(2025/06/15 07:27:01)

2025年6月15日(日)
おはようございます。今朝は雨の千葉からです。今日は越後湯沢に泊まります。

挫折を経験したことが無い者は、何も新しい事に挑戦したことが無いということだ。
アインシュタイン

私の座右の中の座右とも言うべき「我と汝」がある。

これはドイツの宗教哲学者マルチン・ブーバーの著わしたもので、
魂について書かれた最良の書物の一つと私は考えている。

その中でブーバーは「運命と自由は、互いに誓いをかわしている」
と述べている。

そしてそれに続いて「自由を実現した人だけが、運命に出会う」
と言っているのだ。

この自由と運命の出会いは、その順番が人によって違って来る。 >>続きはこちらから

超葉隠論128.

From : 田渕裕哉(2025/06/14 07:51:17)

2025年6月14日(土)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である。
渋沢栄一

そのサルトルが「実存主義とは何か」の中で人間存在の本質につい
語っていた。

「人間は、自らが創ったものとなる」こうサルトルは言っていたのだ。

真の人間の実存的価値を知る者の言葉と言えよう。

そして実存の真の価値、つまり本当の自由を人生において手に入れ
人間の思想でもある。

この運命、この愛、そしてこの自由を手に入れる方法論が「葉隠十戒」の
第十戒の思想なのだ。 >>続きはこちらから

超葉隠論127.

From : 田渕裕哉(2025/06/13 06:11:07)

2025年6月13日(金)
おはようございます。今朝は神戸からお届けしています。

指導者の心得104.
指導者はその団体でいちばん謙虚で感謝を知る人でなくてはならない。

自己の存在の永遠性が分かると、この地上の高慢の馬鹿々々しさが理解され、
自己の生命が真の自由を得るのだ。

我々の存在の根底を支える負のエネルギーの崇高性とその実在を感ずるとき、
人間は物質主義から抜け出すことができる。

そして正を重んじていた高慢から脱するのだ。

そのとき、葉隠の第十戒は自己の人生に信じられぬほどの力を与えてくれるに
違いない。

自分にも、人類の最高の価値を実現する力のあることが分かるのである。 >>続きはこちらから

超葉隠論126.

From : 田渕裕哉(2025/06/12 07:46:35)

2025年6月12日(木)
おはようございます。今朝は名古屋からお届けしています。

指導者の心得103.
指導者はふつうの理を超えたより高い理を知らなくてはならない。

高慢や傲慢という地上的な悪徳を乗り越えて、本当の人間としての
自分の価値が分かって来ると言っていいだろう。

そうすれば、歴史上のいかなる人間が成し遂げたことも、必ず自分
にも出来るのだということが認識できるようになる。

それが自分などというちっぽけな存在を通り越して、宇宙の実在
の力によって成されるのだと、諒解できるからに他ならない。

自分という存在は、途轍もない愛の力と自由の力、そして運命とい
力によって成り立っていることが腑に落ちるのである。

そのとき、我々は高慢な自己から解放され、初めて自由の大空間に
向かって羽ばたくことが出来るに違いない。 >>続きはこちらから

超葉隠論125.

From : 田渕裕哉(2025/06/11 07:10:47)

2025年6月11日(水)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。今日は名古屋です。

指導者の心得102.
指導者は「治にいて乱を忘れず」の心がまえが大切である。

葉隠はすべての「正」を否定して「負」のみによって
この世を生きることを示している。

だからこの葉隠の思想を噛み締め、この世において実行すれば、
そのまま「運命への愛」が自己の人生を覆うことになるのだ。

これを独立自尊の人間だけが、実行できる。

そして、その自己固有の運命が認識されれば、
人生に真の自由が訪れて来ることになる。

それが先ほどの内村鑑三の人生観に見られたものと言えるだろう。

運命と自由は響き合っているのだ。

そしてそれらは愛によって支えられているに違いない。 >>続きはこちらから