超葉隠論148.

From : 田渕裕哉(2025/07/04 06:21:53)

2025年7月4日(金)
おはようございます。今朝もいい天気の博多からです。今日は宇和島に行きます!

かけがえのない人間になるためには、常に他人と違っていなければならない。
ココ・シャネル

過去の苦しみに共感する者は、また未来の人間の共感を得るに違いない。

だから、葉隠は本当の未来への夢を与えてくれるのだ。

葉隠を生きることは苦悩である。

それは悲痛と呻吟をもたらすものとなるだろう。

しかし、その苦悩の中から、本当の自己が生まれ出づる。

それは、宇宙的使命を帯びた本当の自己となるだろう。 >>>続きはこちらから

超葉隠論147.

From : 田渕裕哉(2025/07/03 07:12:59)

2025年7月3日(木)
おはようございます。今朝も暑い博多からです。

結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。決してあきらめない姿勢が何かを生み出すきっかけをつくる。
イチロー

すべての文化的価値は、人間に与えられたその宇宙的使命の自覚から生まれて
来たと言えよう。

日常に埋没することなく、魂の崇高を追い求めた人間たちがそれを遂行した。

騎士道の伝統が生み出した、最も美しい人生論をカール・ヒルティは書いた。

その中でヒルティは「常に大思想を生き、瑣末の事柄を軽視する慣わしを持て」
と言っている。

人間として生まれたその使命を全うするためにのみ、人生の力を注ぎ込まなければ
ならない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論146.

From : 田渕裕哉(2025/07/02 05:49:29)

2025年7月2日(水)
おはようございます。今朝はいい天気の博多からです。

私は多く傷つき、多く苦しんだ人が好きです。挫折感の深い人は、その分、愛の深い人になります。
瀬戸内寂聴

葉隠に比肩し得るものは、あの沈黙の怪物シトー会を再興したクレルヴォ―の聖ベルナールの
「誓い」しかない。

十二世紀に生きた聖ベルナールが聖堂騎士団と聖ヨハネ騎士団のために認めた「騎士道の誓い」
である。

魂の純粋さにおいて、この騎士道の涙と葉隠の慟哭は永遠に響き合っている。

武士道と騎士道は、人類が築き上げた魂の文化の精華である。

それは人類の起源に遡る「初心」の実践を、現世において行なう文化とも言えるだろう。 >>>続きはこちらから

超葉隠論145.

From : 田渕裕哉(2025/07/01 06:44:28)

2025年7月1日(火)
おはようございます。今朝は涼しい千葉からです。今日は福岡に行きます!

愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存する。
アリストテレス

私は「葉隠」と私との交流から生まれた一つの「新しい生き方」を描きたいと思った。

そのために、私の人生の信条ともなっている、わが「葉隠十戒」という戒律を取り挙げた。

この十戒には、葉隠に鎮もれる古い魂のすべてが込められていると私は考えているからだ。

新しいものは古いものから生まれる。私と葉隠の出会いは、運命そのものと言ってもいいだろう。

葉隠は私が選んだのではない。葉隠の魂が私を選んだのだと思っている。 >>>続きはこちらから

超葉隠論144.

From : 田渕裕哉(2025/06/30 06:28:13)

2025年6月30日(月)
おはようございます。今朝も暑い朝の千葉からです。

過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。
ニーチェ

私は現世を生きたいとは思わないのだ。

私は永遠の自己を生きたいと思っている。

永久に向かう、静かな生命を楽しみたい。

私は「永久燃焼論」において、西脇順三郎の詩を引用した。

それは脳髄を破壊した先にある、人間の生き方を歌ったものだった

私は葉隠によって、現世を生きる脳髄を確かに破壊した。

そのゆえに人間としてのあらゆる喜びを手に入れて来たと思っている。 >>>続きはこちらから

超葉隠論143.

From : 田渕裕哉(2025/06/29 07:55:14)

2025年6月29日(日)
おはようございます。今朝も暑い千葉からです。

神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。
マザー・テレサ

何かを得ようとしない魂に、宇宙の負のエネルギーが降り注いで来る。

そして宇宙に充満するあの暗黒流体の浸潤を徐々に受けるのである

この流体エネルギーの浸潤を受けた者こそが、葉隠という人類文化
生きる者となる。

それを生きることによって、さらにまた何ものも得ないことの大切
が分かって来るのだ。

我々は人間としての運命を生きるために、この地上に来たのである>>>続きはこちらから

超葉隠論142.

From : 田渕裕哉(2025/06/28 06:14:43)

2025年6月28日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

とにかく、考えてみることである。工夫してみることである。そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい。
松下幸之助

葉隠は、現世の自己を殺してくれることによって、真の人間として
再生エネルギーを与えてくれたのである。

非日常の日常化の過程が、常を養う生活を生み出す。

常を養うその生活はまた、物質的なものを断つ生活とも言えよう。

私はそれを養常の考え方と言って来た。

養常の生活は、本音の自己を創り上げる。生の自分だ。

「生の自分」というものを確立することによって、人間は運命と出会うのだ。 >>>続きはこちらから

超葉隠論141.

From : 田渕裕哉(2025/06/27 07:33:37)

2025年6月27日(金)
おはようございます。今日もさわやかな朝の千葉からです。

自分に期待することではじめて物事は可能になる。
マイケル・ジョーダン

私の言う再生とは、復活の意味を内包することによって、輪廻転生的な
生まれ変わりとはまた違う。

それは真の人間として「立つ」という人間の実存の時間軸の貫徹を言っている。

我々は、真の人間としての自覚の上に存在している生命としての「時間」である。

この時間の認識が、個人では中々できないのだ。

その認識のためにも、我々は人類というものを自分なりに掴まなければならないのだ。

人類の再生を最も深く思索した人物にフランスの哲学者ミシェル・セールがいる。 >>>続きはこちらから

超葉隠論140.

From : 田渕裕哉(2025/06/26 07:50:51)

2025年6月26日(木)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。

あなた方は進歩し続けない限りは退歩していることになるのです。目的を高く掲げなさい。
ナイチンゲール

我々は個人として生き、また人類として生きなければならない。

そして、それは死についても同様なのだ。

我々は何度も死に、また再生しながら今日に至っている。

そして今後も、永久にそれを繰り返すのだろう。

つまり魂と肉体を含めた我々の命の再生こそが、いつも世にも
「現世」と呼ばれるものになっているに違いない。

再生が復活であることは先に触れた。 >>>続きはこちらから

超葉隠論139.

From : 田渕裕哉(2025/06/25 07:14:43)

2025年6月25日(水)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ。
エイブラハム・リンカーン

再生のために、孤独があり生命燃焼があり恋愛があり革命がある。

そして自己の運命があるということになる。

人類そのものが、再生を繰り返す存在に違いない。

その中を我々一人ひとりの個人が生きているのだ。

人類の中にあって、我々も再生を繰り返しながら生き続けて来た。

ブルトンの言う「生の再創造」という考え方も「永久革命論」の
最後で少し触れた。 >>>続きはこちらから