From : 田渕裕哉(2011/09/30 07:02:53)
おはようございます。今日が十条で仕事をする最終日です。
昨日は、2回、同じメールが送られてしまい申し訳ありません。
今後、このようなことが二度とないように気をつけます。
よく「無心になれ」とか、「無念の境地になれ」とか言われますが、
それは、言われた人からするとかえって分からなくなると葉隠は教えています。
言っている人も無心になったことがないから
気安くそういうのかもしれないと嫌味のようなことまで言っています。
今日は「本当の無心とは?」について考えます。
無心になって勝負に挑んだり、芸術に打ち込んだり、
できればそれは理想に違いないですが、具体的にどうしたらいいか?ということです。
ここで葉隠は、無念とは正念のことで、正しい思い、目標のことであると述べています。
つまり、正しい思いや目標を定めて、そこに向かって一生懸命に
日々自分を鍛えていくことの先に「無念」があると教えています。
ただ無になるのではなく「正しい思いと目標にひたすら打ち込む」という実践がまずあって、
その境地の先に「無心」になる心が生まれると言います。
From : 田渕裕哉(2011/09/29 07:58:38)
おはようございます。今朝もさわやかな新宿からです。
毎日の人との出逢い、人間関係の中に、自分の成長の場があると感じます。
今日も新しい出逢いにワクワクしています。
あなたは失敗したり、過ちを犯すと落ち込みますか?
葉隠では「失敗者こそ、素晴らしい!」と説いています。
引用しましょう。
ある者の昇進の審議が行われたとき、この者は以前、
大酒を飲んで乱れて失敗したことがあるから昇進はなし、
という結論で決まろうとしたとき、ある人が次のように言った。
「一度誤ちがあったからといって、その者をお見捨てなさるというのでは、
お役に立てる人物は育ちません。
一度誤ちを犯した者は、その過ちを後悔するので、
かえってよく反省してお役に立つものです。
昇進させてよろしいのではないでしょうか」
すると別の人が言った。
「あなたが保証されると言われるのか」
先の者は答えた。
「確かに、私が保証しましょう」
「どのような理由で、保証をしようと言われるのか」と皆が尋ねると、
「一度誤った者だからです。一度も誤ったことがない者はかえって危ないものです」
と答えたので、その者の昇進が認められた。
From : 田渕裕哉(2011/09/28 07:43:53)
おはようございます。今朝も新宿のホテルからです。
最近、日本に住んでいる中国の方々とお会いし話しています。
明るさ、成功への情熱、誠実できれいな心に感動します。
あなたは、人に意見するときに、十分な配慮のもと、人に意見しているでしょうか?
葉隠の中には「人にアドバイスをするときには、十分な配慮がいる」
という主旨のことが書かれています。
少し引用してみましょう。
「人に意見をして、その人の欠点を直させることは大切なことで、
武士としての大慈悲とご奉公の第一である。
しかし、意見の仕方については、大変な苦心がいる。
人のやっていることについての善悪を判断するのは簡単なことである。
それについて意見することも容易なことである。
たいていの人は、人が聞きたくない言いたくないことを言うのが親切のように思い、
それを相手が受け入れないと、どうしようもないとあきらめる。
しかし、その人こそ、どうしようもないのである。
何の役にも立たない。人に恥をかかせ、人の悪口を言うのと同じことである。
自分の気ばらしに言ったにすぎない。
From : 田渕裕哉(2011/09/27 07:51:23)
おはようございます。今朝は新宿からです。
昨日は、長男の誕生日でした。23歳になりました。
いろいろな思い出があります。立派に成長していて嬉しいです。
葉隠の中に次のような文章があります。
「同じ人間に生まれたのである。誰に劣るなどあろうものか。
すべて修行は、大高慢に自分以上の者はいないのだと
思い上がるほどでなければ役に立つわけがない。
自分一人でお国を安泰させるぞとかからなければ、
修行もものにならないだろう。」
葉隠は、自分こそナンバーワンの武士であると自覚することから
すべては始まると教えています。
そして、自分こそ第一の武士となるために、
4つの誓願を立て、日々自分を励ませるのです。
その4つはこうです。
1.武士道において絶対におくれをとらないこと。
2.主君のお役に立つべきこと。
3.親に孝行をすべきこと。
4.大慈悲を起こし人の役立つべきこと。
この4誓願を自分に当てはめて考えてみてください。
次の質問を考えるといいでしょう。
1.自分の人生において最も大切なこと、譲れないもの、
実現していきたいものは何か?
From : 田渕裕哉(2011/09/26 06:59:52)
おはようございます。今朝は涼しい千葉からです。
夏が終わり、秋が来ましたね。秋は独特の感じがします。
3連休は如何でしたか?私は今日から、また1週間、十条にいます。
「三河物語 葉隠」の中に「武士道とは死ぬことと見つけたり」
という言葉があります。
私は、この言葉こそ日本人の魂、すなわち大和魂だと感じます。
死んで生きる、つまり最悪の死を受け入れて、
最高に生きるという考え方です。
死ぬのを恐れて生きている人と、死を恐れずに生きている人と、
どのくらい生きるエネルギーが違うでしょうか?
人は誰でも生きたいと思います。
だから、生きるほうに理屈をつけようとします。
それでは、武士の世界では、腰抜け侍になってしまいます。
「葉隠」には、「毎朝毎夕、心を正して死を思い、死を覚悟し、
常に死と一つ身になっていれば、武士道も我が身と常に一つで自在となり、
一生落ち度なく、武士として我が身に与えられた職務を
やり遂げられるだろう」と書かれています。
「死んでしまっては元も子もない」というのも分かりますが、
この自分の信じた道を命をかけて進む覚悟、力こそ、
社会を守る原動力だと感じます。
From : 田渕裕哉(2011/09/25 06:54:04)
おはようございます。今日は松戸の教会に行きます。
朝、夫婦で散歩をしていると稲刈り後の田んぼに
200匹以上の白鷺(しらさぎ)が羽をやすめていました。
新しい子どもの育て方として、非常に面白い記事があったので紹介したいと思います。
「親は子どもに歩き方を教えるのに、子どもを支えたり褒めたりしますが、
これは目に見える行いです。
このような行いは、目に見えない愛と、子どもの可能性に対する期待の表れです。
来る日も来る日も親の努力は続きます。
目には見えませんが、これは忍耐と熱意があることの証拠です。
行動を生み出すのは私たちの目に見えない性質であり、
それは行動の動機なのですから、何をするべきかを教えるよりも、
好ましい性質を身に付けるよう教える方が、行動を改善するうえで効果があるでしょう。
子どもが悪いことをした場合、例えば、けんかをした場合には、
その行動、つまり目に見えるけんかをやめさせようとすることが多いのですが、
これは間違っています。
行動は目に見えない動機の表れにすぎません。
次のように考えるとよいでしょう。
From : 田渕裕哉(2011/09/24 07:12:24)
おはようございます。今朝は1週間ぶりに戻ってきた久々の千葉からです。
台風の影響があると思って、朝、田渕農園?を見ましたが、1メートルぐらいの木
になる2つの「獅子ゆず(グレープフルーツ大)」が2個、そのまま残っていました。
私たちは皆、財産欲、名誉欲、権力欲というこの世的なものを望むように誘惑されます。
これらのものを望んだとしても、最優先するべきではありません。
最大の望みが財産を得ることだったり、
権力を望んだりする人は、物質主義のわなに陥っています。
それは実はむなしいものであることを知らなければなりません。
ある大成功して、数多くの栄誉に輝き、地位、名声、富を得た人の言葉をご紹介します。
じっくりと味わってください。
「私は人々が尊敬し名誉とすることや、役職・地位などは、本当のところ、
あまり価値がないと思うようになった。
これらのものは、ときどき獲得するために努力しようと感じるが、その値打ちはない。
この世の物は、ただ十分飲食し、適度に着用するものがあれば、
それ以上のものは全く重要ではないことが分かるようになった。
また子供たちに財産を残そうとすることは、むだな努力であるばかりか、
災いになるかもしれないことが分かった。
From : 田渕裕哉(2011/09/23 07:21:29)
おはようございます。今朝は快晴の新宿からです。
今日は祝日ですが、私は十条のお店で働いています。
素晴らしい方々とたくさん出逢っています。
私たちの心の中に、どのような望みがあるでしょうか?
自分の心の中を探り、本当の望みは何か、そして最も大切な望みの
優先順位をどのように付けるかを知ることは非常に大切です。
なぜなら、望みは優先順位を決め、優先順位は選択を方向づけ、
選択は行動を左右するからです。
どのような望みに基づいて行動するかで、どのように変化し、
何を達成し、どのような人物になるかが決まるのです。
望みは目に見えませんが大切です。
私たちは食べたいという望み、寝たい(睡眠)という望みがあります。
しかし、この睡眠欲より優先させた望みの例があります。
ある夜、敵の歩兵隊が前線を突破し、
砲兵隊が陣取っていた後方にまでなだれ込んで来ました。
大尉は自分のテントに電話線を引き、周辺を防御している大勢の隊員一人一人に、
一晩中1時間おきに自分に電話をするように命じました。
そうすることで隊員は目を覚ましていることができました。
From : 田渕裕哉(2011/09/22 07:30:12)
おはようございます。関東地区の昨晩は台風で大変でしたね。
まだのところもあると思いますが、皆さんの無事をお祈りしています。
昨日のメルマガの後半のリンクが午前中にトラブルがあり見えませんでした。
昨日の午後から復旧しましたので、ぜひ、読んでくださると嬉しいです。
きれいな心を持つことには完全な自由があります。
ビクター・E・フランクルは、ナチ強制収容所における悲惨な経験を述べたくだりの中で、
人間の自由がどれほど奪われようと、虐待がどんなに過酷であろうと、
心身にかかわる緊張がどんなにひどくても、人はフランクルが「最後の自由」と呼ぶもの、
つまり「どんな状況にあっても、自分の態度や心の思いを選ぶ自由」を
持ち続けることができると言っています。
彼の言葉を引用します。
睡眠不足や不十分な食料、さまざまな精神的圧迫などの状態は、
収容者にある反応を起させると考えられがちであるが、
つまるところ囚人がどのような人物になるかは、その人の内面的な決心の結果であって、
収容所の影響だけによるものではない。
従って基本的には、このような境遇にあっても、
だれでも自分が心理的、精神的にどのような人物となるかを決定することができる。・・・・
From : 田渕裕哉(2011/09/21 12:56:24)
おはようございます。今朝は雨の赤羽にいます。
台風15号気をつけてくださいね。安全をお祈りします。
今週、来週と十条にあるお店にいます。
お近くに来る予定のある方は、ご連絡ください。
お会いできると思います。こちら ⇒ tabuchi@dc-group.co.jp
あなたが良いことをする場合、、どんな動機で良いことをするでしょうか?
さまざまな動機があると思います。
表向きは隣人のための奉仕を装っていながら、
本当は自分の富や名誉のためにしている場合もあるのです。
また、良い交友関係を求める気持ちから出る奉仕もあります。
これは、自分の富や名誉を求めるよりは、おそらく立派ですが、
やはりこの世的な報いを求める動機の仲間に入ります。
すなわち、自分に役立つことを求めており、心のきれいな人とは言えません。
心のきれいな人は、純粋に人の役に立ちたい!という「愛」を
動機に良いことをする人です。
愛が動機の人は受け身や義務感でするのではなく自発的に進んで行うものです。
ある方が述べているように「税ではなく、捧げ物」なのです。
ヘンリー・バンダイクの名作『館』の物語の中に、
著名な博愛家ジョン・ウェイトマンが見た天の示現の場面があります。
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