超葉隠論130.

From : 田渕裕哉(2025/06/16 07:22:44)

2025年6月16日(月)
おはようございます。今朝は越後湯沢からお届けしています。今日は沼田市でセミナーです。

高い志と熱意を持ち、少数だけでなく、より多くの人々との共感を持てれば、
どんなに弱い者でも事を成し遂げることができるでしょう。
津田梅子

ブーバーは「運命は自由の限界ではなく、その成就である」と言っている。

その意味は、自己の本当の運命を知れば知るほど、自分の自由は無限に
向かって飛翔して行くということだ。

先述した運命のもつ自由性をブーバーもまた認識して行くということだ。

愛に支えられて、我々人間の運命と自由が躍動するのである。

このブーバーの哲学と同質のものを、中世の日本において説いた大宗教家が、
あの偉大な道元なのだ。 >>続きはこちらから

超葉隠論129.

From : 田渕裕哉(2025/06/15 07:27:01)

2025年6月15日(日)
おはようございます。今朝は雨の千葉からです。今日は越後湯沢に泊まります。

挫折を経験したことが無い者は、何も新しい事に挑戦したことが無いということだ。
アインシュタイン

私の座右の中の座右とも言うべき「我と汝」がある。

これはドイツの宗教哲学者マルチン・ブーバーの著わしたもので、
魂について書かれた最良の書物の一つと私は考えている。

その中でブーバーは「運命と自由は、互いに誓いをかわしている」
と述べている。

そしてそれに続いて「自由を実現した人だけが、運命に出会う」
と言っているのだ。

この自由と運命の出会いは、その順番が人によって違って来る。 >>続きはこちらから

超葉隠論128.

From : 田渕裕哉(2025/06/14 07:51:17)

2025年6月14日(土)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である。
渋沢栄一

そのサルトルが「実存主義とは何か」の中で人間存在の本質につい
語っていた。

「人間は、自らが創ったものとなる」こうサルトルは言っていたのだ。

真の人間の実存的価値を知る者の言葉と言えよう。

そして実存の真の価値、つまり本当の自由を人生において手に入れ
人間の思想でもある。

この運命、この愛、そしてこの自由を手に入れる方法論が「葉隠十戒」の
第十戒の思想なのだ。 >>続きはこちらから

超葉隠論127.

From : 田渕裕哉(2025/06/13 06:11:07)

2025年6月13日(金)
おはようございます。今朝は神戸からお届けしています。

指導者の心得104.
指導者はその団体でいちばん謙虚で感謝を知る人でなくてはならない。

自己の存在の永遠性が分かると、この地上の高慢の馬鹿々々しさが理解され、
自己の生命が真の自由を得るのだ。

我々の存在の根底を支える負のエネルギーの崇高性とその実在を感ずるとき、
人間は物質主義から抜け出すことができる。

そして正を重んじていた高慢から脱するのだ。

そのとき、葉隠の第十戒は自己の人生に信じられぬほどの力を与えてくれるに
違いない。

自分にも、人類の最高の価値を実現する力のあることが分かるのである。 >>続きはこちらから

超葉隠論126.

From : 田渕裕哉(2025/06/12 07:46:35)

2025年6月12日(木)
おはようございます。今朝は名古屋からお届けしています。

指導者の心得103.
指導者はふつうの理を超えたより高い理を知らなくてはならない。

高慢や傲慢という地上的な悪徳を乗り越えて、本当の人間としての
自分の価値が分かって来ると言っていいだろう。

そうすれば、歴史上のいかなる人間が成し遂げたことも、必ず自分
にも出来るのだということが認識できるようになる。

それが自分などというちっぽけな存在を通り越して、宇宙の実在
の力によって成されるのだと、諒解できるからに他ならない。

自分という存在は、途轍もない愛の力と自由の力、そして運命とい
力によって成り立っていることが腑に落ちるのである。

そのとき、我々は高慢な自己から解放され、初めて自由の大空間に
向かって羽ばたくことが出来るに違いない。 >>続きはこちらから

超葉隠論125.

From : 田渕裕哉(2025/06/11 07:10:47)

2025年6月11日(水)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。今日は名古屋です。

指導者の心得102.
指導者は「治にいて乱を忘れず」の心がまえが大切である。

葉隠はすべての「正」を否定して「負」のみによって
この世を生きることを示している。

だからこの葉隠の思想を噛み締め、この世において実行すれば、
そのまま「運命への愛」が自己の人生を覆うことになるのだ。

これを独立自尊の人間だけが、実行できる。

そして、その自己固有の運命が認識されれば、
人生に真の自由が訪れて来ることになる。

それが先ほどの内村鑑三の人生観に見られたものと言えるだろう。

運命と自由は響き合っているのだ。

そしてそれらは愛によって支えられているに違いない。 >>続きはこちらから

超葉隠論124.

From : 田渕裕哉(2025/06/10 07:36:06)

2025年6月10日(火)
おはようございます。今朝は福島県のいわき市からお届けしています。

指導者の心得101.
指導者に必要なのは匹夫の勇ではなく正義に立った大勇である。

自己への運命への愛を最も掴んだ人間のひとりこそが
明治のキリスト者・内村鑑三だった。

内容の「日記」には「墓に入るまで、独立であらねばならぬ」
と認められている。

これは内村が、愛を貫き通す人生を送るに当たって、最も
大切な考え方がそこにあると感じていたからに他ならない。

独立自尊とは、負のエネルギーを、この世で貫徹するために
必須の要件となるのだ。

負のエネルギーの体得者には、現世で物質的な野心などはない。 >>続きはこちらから

超葉隠論123.

From : 田渕裕哉(2025/06/09 07:27:13)

2025年6月9日(月)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。今日は郡山でセミナーです。

指導者の心得100.
指導者は自分の持ち味によって事をなさなくては失敗する。

現代人は、全く自己の運命を愛していないことは先にも少し触れた

文化が愛を育むのだ。

特に葉隠のような狂気に近い文化ほど、その愛は深いものとなる。

自己の運命を愛すれば、自己の存在の永久性が分かるようになる。

自分とは、過去にも存在し、また未来にも存在する運命という宇宙
実在なのである。

自己の永遠性の認識ということだろう。 >>続きはこちらから

超葉隠論122.

From : 田渕裕哉(2025/06/08 06:58:15)

2025年6月8日(日)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

指導者の心得99.
指導者は次々に適切な目標を与えなくてはならない。

私は「運命への愛」という思想が、日本の武士道を表わす言葉とし
外国人によって語られたことを知ったとき、本当に感動した。

そして日本人の無関心さに落胆したのを覚えている。

私がここでこの言葉を取り挙げたのは、この思想が第十戒を貫くの
最も必要な考え方となり、また第十戒を貫いていれば徐々に芽生え
来る思想だからに他ならない。

自己固有の運命を生きることだけが、人生を築き上げる。

そして愛のためにすべてをささげつくすのが、人類としての我々の
宇宙的使命を創っている。

その人類的使命が、日本の武士道に対して「運命への愛」という名
として与えられた。 >>続きはこちらから

超葉隠論121.

From : 田渕裕哉(2025/06/07 07:21:34)

おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

指導者の心得98.
指導者は命令が相手に遂行されるよう十分配慮しなくてはならない

現代文明を生み出したルネッサンスの終わりに、すでにこの傲慢は
あのモンテ―ニュによって指摘されていた。

モンテーニュはその「エセ―」第ニ巻第十二章において「実に我々
不遜を罰するために、我々の悲惨と無能とを思い知らせるためにこそ、
神はいにしえのバベルの塔の混乱を生じさせたのであった」と述べている。

これは近代に至って台頭し、現代を創った物質礼讃について言われた警告である。

しかし魂を軽視する文明に、この声も届くはずはないだろう。

第十戒は、超越的日常性を養う思想である。それは分かっていただけたと思う。 >>続きはこちらから