From : 田渕裕哉(2011/09/22 07:30:12)
おはようございます。関東地区の昨晩は台風で大変でしたね。
まだのところもあると思いますが、皆さんの無事をお祈りしています。
昨日のメルマガの後半のリンクが午前中にトラブルがあり見えませんでした。
昨日の午後から復旧しましたので、ぜひ、読んでくださると嬉しいです。
きれいな心を持つことには完全な自由があります。
ビクター・E・フランクルは、ナチ強制収容所における悲惨な経験を述べたくだりの中で、
人間の自由がどれほど奪われようと、虐待がどんなに過酷であろうと、
心身にかかわる緊張がどんなにひどくても、人はフランクルが「最後の自由」と呼ぶもの、
つまり「どんな状況にあっても、自分の態度や心の思いを選ぶ自由」を
持ち続けることができると言っています。
彼の言葉を引用します。
睡眠不足や不十分な食料、さまざまな精神的圧迫などの状態は、
収容者にある反応を起させると考えられがちであるが、
つまるところ囚人がどのような人物になるかは、その人の内面的な決心の結果であって、
収容所の影響だけによるものではない。
従って基本的には、このような境遇にあっても、
だれでも自分が心理的、精神的にどのような人物となるかを決定することができる。・・・・
人生を意味のあるものとし、そして目的に満ちたものにするには、
この霊的な自由であり、これを取り去ることはできない。
活動的な生活は、人に創造的な業に価値を見い出す機会を与える。
他方、楽しみを求める受身的な生活は、美や芸術、自然を味わうことから充実感を得る。
しかし、創造の面でも悦楽の面でもほとんど不毛な生活にも目的がある。
このような生活には、ただ一つ高い道徳的行為の可能性しか残されていない。
それは、自己の存在、しかも外界の力により制約された存在に対して、人が取る姿勢である。
(引用終了)
非常に奥の深い言葉だと思います。
外側の自由を奪われた人が、それでも誰も内側の自由を奪うことはできない!と言っています。
外側の自由を奪った人を恨むこともできるし、
その人に悪い気持ちを感じないこともできる!ということなのです。
「恨みは自分に対する罰である」という言葉があるように、
きれいな心を持つことは、自分へのご褒美なのです。
そして、そのきれいな心を持つことは、
どんな状況でも「完全な自由」があるということなのです。
素晴らしいことですね。
田渕 裕哉
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