From : 田渕裕哉(2011/09/20 07:26:07)
おはようございます。台風が来てますね。
皆さんが安全であるようにお祈りしています。
今日から十条のお店で2週間の仕事がスタートします。
楽しみです!
法律は人の行為に対して判決を下そうとしますが、
人の内面、すなわち「心」がきれいか汚いかの判決は下しません。
心のきれいな人になるためには考えるべきことです。
例を挙げて説明しましょう。
ある人がきれいな車をガレージに駐車していたとしましょう。
隣人がその車を見て「欲しい。盗みたい。」と思いますが、何もしません。
ただ欲しそうに眺めるだけです。
この人の心はきれいではありませんが、この隣人は、
この時点では、まだ法律を少しも破っていません。
しかし、例えばエンジンをかけて乗り去るなど何らかの行動を起せば、
彼は不正を犯したことになり、法律の下に罰せられるでしょう。
さらに、この隣人の行為に対して、
どんな法律上の処置を取るべきかを決めるため、車をとった意図が問われます。
所有者が同意するだろうと勝手に思い込んで、ただ借りるつもりであった場合、
この人は罪を犯したとは見なされないかもしれません。
しかし、もちろん車の乗り方が悪くて損害を与えたときは、
賠償の義務を負うことになります。
所有者の意志に反して車を使い、短時間で返すつもりであった場合、
この人は軽犯罪に問われるでしょう。
もし、永久的に盗むつもりであったのなら、大きな罪を犯したことになります。
このいずれであるかを判断するため、裁判官や陪審員は、
車を盗ったときの意図(心の中)を確かめようとします。
心のきれいな人になるためには、実際の行為だけでなく、
心の中でも罪を犯さないようにしなければなりません。
心の中での罪を犯す自分を嫌うのです。
目に見える行為と、目に見えない「心」、
すなわち、その動機や望みをきれいにするように心がけることが大切です。
誰も見ていないときに、どのような思いと行いをするかが、
その人の「徳」を測るものだと言います。
私は目に見えない心が、目に見える行為と同じように、きれいなものであるならば、
本当に気持ちがよく、幸福な人生を送ることができると確信しています。
なぜなら、誰も見ていなくても、自分自身は必ず見ているわけですから。
田渕 裕哉
あなたの大切な人に、
このメッセージを転送してください。
多くの人が幸せになりますようにお祈りしています。
毎朝8時の無料配信を直接ご希望の方は、
お名前とメールアドレスを下記まで
お送りください。 ⇒ ask@dc-group.co.jp
どなたでも無料で登録できます。
また配信解除ご希望の方は、配信解除希望の返信メールをお願いします。
tabuchi@dc-group.co.jp または、ask@dc-group.co.jp まで。
ありがとうございます。
カテゴリー
アーカイブ
コメント