From : 田渕裕哉(2012/04/08 06:42:07)
おはようございます。今朝も快晴の千葉からです。
昨日も桜の花見を楽しみましたが、千葉は今週が見ごろです。
夜は満月で、夜桜もステキでした。皆さんの地域の桜は如何ですか?
いい季節になってきましたね。春は希望に溢れる季節です。
ちょっとイメージしてください。
あなたは銀行に行きました。中には50人ほどのお客がいます。
そこへ銃を持った強盗が入ってきて発砲しました。
それがあなたの右腕に命中しました。
さて、この出来事をありのまま、翌日、友人に話すとします。
あなたは「幸運」として話すでしょうか?
それとも「不運」として話すでしょうか?
これは実際のアンケートの結果があります。
約70%は「きわめて不運な出来事」であると主張します。
約30%は「非常に運がいい」と言います。
まったく同じ出来事に対して、これほど違う解釈が可能であるというこがよく分ります。
しかし本当の洞察が得られるのは、なぜ、そう考えるのかを説明してもらったときです。
不運だ、というグループはだいたい次のようなことを主張します。
「別の時刻に行くことも、別の銀行に行くこともできた。こんな出来事は、
めったに起こるものではない。その時間にそこに居合わせたことが不運だし、
おまけに撃たれたのだから不運に決まっている!」
「私の腕に弾丸が命中したという客観的な事実が不運である」
「銀行に入って行ったときには完全な健康体だった。それが救急車で運び出される
はめになったのだ。これが幸運だということはありえない」
さて、非常に運がよかったというグループの意見を聴きましょう。
「腕じゃなくて、もっと重要な個所を撃たれていたかもしれない。
命を落としたかもしれない。だからすごく運がいい!」
「50人もいて、他の誰も撃たれなかったのは奇跡的だ。子どももいただろう。
全員が生きて帰って経験を語れるというのは非常にラッキーなことだ」
反応は非常に異なりますが、実は、全ての人の頭の中で、
全く同じことが行われていました。
腦が「反事実(実際とは異なるストーリー)」を創り出したのです。
その反事実との対比で、実際に起こったことを評価し説明するというやり方です。
つまり、出来事を不運だと捉えた人は「銀行に行って撃たれずに戻る」
という別のシナリオを想像し、それに比べると現実は非常に不運だと考えます。
しかし、もう一方のグループは、全く別のシナリオを創り出しています。
「頭を撃たれて即死する」「他にも多くの人が撃たれる」というシナリオです。
それに比べれば、皆が生きて帰れるというのは運がいいという訳です。
創り出すシナリオによって心が決まるのです。
明日からは「未来を創る法則」というテーマでお届けします。
お楽しみに!
田渕 裕哉
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