From : 田渕裕哉(2012/09/04 07:23:17)
おはようございます。今朝は大分からお届けします。
昨日は熊本で仕事があり、そのあと、大分に移動しました。
水害で、電車で直接、行くことができず、熊本から小倉に出て、
そこから、東海岸をソニツクという特急で大分まで来ました。
「ノマド」のスタートは、オアシス住民から抜け出そうとした人がいたということです。
そうすれば家畜が増えるに従って、オアシスから離れたところでも、
良い牧草があれば夏にはそこに家畜を連れて出かけ、
寒くなると低地に帰って冬ごもりをすることができたのです。
低い草原地帯では夏になると非常に気温が上がり、草は不足してきます。
それで多数の家畜を飼うとなると、冬は暖かい草原や峡谷のオアシスで過ごし、
夏になれば涼しい山地へ行くという移動、しかも場合によれば、
かなり長距離の移動が必要になりました。
オアシス社会は階級的、保守的であり、個人の自由よりは社会の安定が上位に置かれ、
指導権は少数の上層階級に握られていて、しかも世襲的です。
今の官僚社会や大企業社会に似ています。
ところがノマド(遊牧民)の社会は、それとは全く異なっています。
定着の農耕社会の場合は生活は固定し、特別なことが起こらない限り、
毎年、循環的な、ほとんど変化のない固定した生活が繰り返されます。
それに対して、ノマドという生活は夏の牧地と冬の牧地と、
そしてこの2つの間の移動経路は大体決まっていますが、なにしろ遠い距離、
ときには数百キロにも達する距離を移動するので危険も多いのです。
そこで牧地の割り当てに関しての争いごとも起こるし、
移動の途中においてオアシスの付近や渓谷を通過するときは、
農民との間に衝突を起こすことも少なくありません。
また水や草の不足、気候の激変、疫病などによって
家畜の多くが死んでしまうこともあります。
そこで必要なのは、固い団結力や強い指導力なのです。
ノマドは、常に定着社会とは密接な関係を保ってきたので、
けっして両者が敵対的な関係であったのではありません。
オアシスにとっても、畜産品は必要でしたし、
ノマドとの交易はオアシス経済の重要な支柱となったのです。
つまりノマドというライフスタイルは、オアシスというコミュニティの
経済的限界から生じた生き方であり、それは誰でもなれたわけではないのです。
高度な専門性も必要ですし、さらに人間関係力も必要とされました。
遊牧民とオアシスの農耕民は対立的な関係ではなく、相互補完的な関係だということです。
さらにノマドになれるのは、農耕民の中から特に屈強な一部の人間だけだったのです。
ノマドはフリーターの概念とは全然違います。誰でもなれるものではありません。
選ばれた一部の強い人間だけがなれるものです。
田渕 裕哉
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