手放す技術3.
From : 田渕裕哉(2013/07/03 06:30:46)
おはようございます。今朝は雨が降っている福井からです。
今日、明日と福井のジョブカフェ主催で若手社員を対象に研修を行います。
テーマは「前向き社員養成塾」です。福井県内の様々な会社から参加します。
彼らとふれあい、彼らに影響を与える機会を楽しみにしています。
私たちは無知であることに気づかなければなりません。
無知が執着を生むからです。
例えば私たちの多くは「私はこの身体だ」という思い込みをしています。
これは私たちの多くが無意識のうちに、毎日のように犯している過ちです。
例えば、あなたが「私は病気だ」と言うとき、病んだり痛んだりしているのは身体、
それも身体のどこか一部分であることがほとんどです。
あなたという存在のすべてではありません。
「あの人、かっこいい」とか「かわいい子だね」と言うのも、
ほとんどの場合、身体のことを指します。
このように私たちは、私たちの身体を私たち自身と同一視することが多いのです。
では「私はこの身体だ」という錯覚のどこが問題なのでしょうか?
それは「私はこの身体だ」と思い込むことで、
唯一の頼みである身体に対する執着が生まれることです。
この身体がなければ、私たちの心は「美味しい」「楽しい」「気持ちがいい」
といった快感を得られません。
そのような快感を与えれば与えるほど、火に油を注ぐように、
心はさらなる快感を追い求めます。
やがて、この身体が滅びて快感が得られなくなること、
つまり老いや死への恐怖が生まれます。
その恐怖から逃れるために、新たな快感が必要になります。
そして、新たな快感を味わうと、今度はその快感に執着するようになります。
つまり、執着が執着を生む悪循環なのです。
私たちは、身体ではありません。
少なくとも、身体だけの存在ではありません。
私たちは無知であるがゆえに「真の自己」と「真の自己でないもの」を
正しく識別することができない状態にあります。
「私は身体ではない」と理解したとき、身体というものが、
それほど執着するに値しないということも分ります。
もちろん、執着が完全になくなるわけではありませんが「私はこの身体だ」と
錯覚した状態よりもずっと、身体への思い入れは弱まっているはずです。
このように思い違いに気づくと、執着を手放すことができるわけです。
田渕 裕哉
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