禅の言葉に学ぶ人生の教訓4.

From : 田渕裕哉(2014/03/06 06:26:11)

おはようございます。今朝は中津からお届けしています。
 
今日は中津で一日、企業研修です。
全国7ヶ所の工場で研修をさせていただいています。
今日が最後の7ヶ所目です。楽しみです。
 
 
あなたは失敗を恐れずチャレンジする人生を歩んでいるでしょうか?
 
それとも、失敗を恐れ行動しない人生を選んでいますか?
 
失敗したって、なにも命まで取られるわけではありません。
 
開き直るのではなく、そのくらいに腹をくくって、
かまえていたらどうでしょうか?
 
禅語に「本来無一物」という言葉があります。
 
人間は本来、なにひとつ持たずに生まれてきたのだ、それが人間の本来の姿
なのだから、執着するものなど、どこにもない、という意味です。
 
現在、就いている仕事を失いたくない、というのも「執着」です。
 
現実問題として職を失ったら、生活をどうするかなどの問題はありますが、
それはそうなったときに考えればいい。
 
どんなに大きな失敗をしても、企業が、
そんなに簡単に人を解雇することはできません。
 
仮に解雇になったとしても、本来の姿に戻っただけ、
振り出しに戻っただけのことなのです。
 
そして、そこから始めるだけの力は誰にでも備わっています。

 会社に居続けたい、いまのポジションにしがみつきたい、という執着を

捨ててしまえば、失敗を恐れることもなくなり、仕事に積極的に取り組めますし、
自分を表現することも、能力を発揮することもできます。
 
結果として、仕事の成果も上がることになるのです。
 
日本航空に乗り込み、再建に取り組んだ稲盛和夫さんは、
禅宗の得度も受けている人ですが、こんなことを言っています。
 
「世の中には失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。
あきらめたときが失敗である」
 
「本来無一物」が自分の姿だということを肝に銘じ、恐れず、
常にチャレンジを続ける人になろうではありませんか?
 
執着を手放すことができれば、あなたは、より自由を感じることができます。
 
執着を手放し、心を感謝の気持で満たす方法は
「人間は何ひとつ持たずに生まれてきた」ことを、いつも思い出すことです。
 
旧約聖書でヨブという人は、サタンから試され大きな艱難試練を受けました。
 
そのときの言葉を引用します。
 
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。
主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」
 
田渕 裕哉
 
 
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多くの人が幸せになりますようにお祈りしています。
 
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