禅の言葉に学ぶ人生の教訓7.

From : 田渕裕哉(2014/03/09 07:45:44)

 おはようございます。今朝は、どんよりとした曇り空の千葉からです。

 
昨日はミーティングがあり、新横浜で過ごしました。
今日は、息子と一緒に、東金の教会に行きます。
先週の1週間の反省と新たな今週の1週間の計画を立てる日です。
 
 
お釈迦さまのこんな言葉があります。
 
「人間の欲望というものは、たとえヒマラヤの山をすべて黄金に変えたところで、
満たされることはない」
 
人間の欲望はどこまでも果てしないものだ、ということです。
 
「少欲知足」という言葉があります。
 
文字通り、欲を少なくして、足るを知るということです。
 
お釈迦さまのご臨終前の最後の教えとされる「仏遺教経」の中には、
少欲知足についてこう書かれています。
 
「知足の人は地上に臥すといえども、なお安楽なりとす。
不知足の者は、天堂に処すといえども、また意にかなわず。
不知足の者は、富めりといえどもしかも貧し」
 
現代語訳すると「足ることを知っている人は、たとえ地べたに寝るような
生活をしていても、心は安らかで、幸せを感じている。
 
しかし、足ることを知らない者は、天上の宮殿のようなところに暮らしていても、
満足ということを感じられない。
 
足ることを知らない者は、どんな裕福であっても、心はいかにも貧しい」
ということです。

 実際「もう十分だ。ありがたい」と思って生きていれば、

たとえ住まいが粗末なものでも、食べ物が質素であっても、心は豊かです。
 
一方「こんなものじゃ満足できない」という思いが常にあったら、
どんな豪邸に住もうが、贅沢三昧な食事を貪ろうが、心はカサカサに渇いていきます。
 
物にしても、ブランド品を買いあさり、どこまでいっても満足できない。
 
欲で心がかき乱される、こういう生き方は、ある意味で地獄です。
 
一方、ブランドなどに関係なく、自分の気に入ったものを買って、
満足し、大切に使い続けたら、その物に対して愛着が湧くし、
心がかき乱されることもないのです。
 
日本にも格言があります。
 
「起きて半畳、寝て一畳、天下をとっても二合半」
 
どんなに偉くなっても、起きてるときは半畳分のスペースで十分、
寝ているときでも一畳分あれば事足りる。
 
天下人になったとしても、一回の食事で食べられるのは、
せいぜい米二合半でしかない、ということです。
 
人間とは、いってしまえば、それだけの存在なのです。
 
さあ、知足の者になるか、不知足の者になるか、
あなたは、どちらの生き方がいいですか?
 
明日からは「サラリーマンが起業しようとするとき失敗しないための7つの鍵」
というテーマでお届けします。
 
お楽しみに!
 
田渕 裕哉
 
 
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多くの人が幸せになりますようにお祈りしています。
 
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