なんとなくの法則3.

From : 田渕裕哉(2014/09/10 06:49:36)

 おはようございます。今朝は千歳からお届けしています。

 
錦織圭選手は残念でしたね。でも日本人が世界で活躍するとワクワクします。
私にも日本人の血が流れていることを誇りに思ってます。
今日は千歳にある企業で1日研修です。最高の研修にします!
 
 
なんとなくの法則3は「出会ったものと自分の関係」です。
 
人生にはさまざまなことが起こります。
 
特に人間関係においては、いいこともそうでないことも日常茶飯に起こり、
その都度、私たちは一喜一憂してしまうものです。
 
この人間関係も「なんとなく」の感覚で見ていくとわかることがあります。
 
何かの事柄に出会ったとき(特に嫌だと感じる出来事)、
ついつい私たちは目の前にいる相手を一方的に責めてしまうことがあります。
 
しかし、そう考えるのではなくて「これは、私の中にあるものを自覚させて
くれているのかもしれない」と受け止めて思い直してみること。
 
起きることすべて、自分の中にあることが投影されていると考えるわけです。
 
人さまの在り方を通して、自分の中にあるものを受け止めていくということ。
 
原因探しではなく、私たちが今、なぜこういう事柄にに出会っているのか
ということを知り、そちらへ目を向けていく考え方。
 
出来事を通して気づくことができて、自分自身を磨き「いいふう」に変え、
陽気に生きようとする姿です。
 
「出会いを通して自分と出会う」いろいろなことを、それぞれの役の人が
代表となって自分に見せてくれているのですから、聞くも因縁、見るも因縁です。

 では、実際にはどうするのかというと、何か出来事や、その人を通して見えてきた

事柄が自分の中にあるかもしれないと省みて、お詫びや自覚をしていくのです。
 
「ごめんなさい。私にも同じ一面がありました。お詫びいたします」
 
出来事の深さによっては、今生だけでなく、前世のことも含めて目に触れること、
聞くこと、すべて自分に関係のあることだと思うならば「見せてもらったことは、
私のこの身にも原因があったかもしれない。
私の中にもそんなものがあったかもしれません。ごめんなさい。許してください」
と心からお詫びすることができます。
 
どんなご縁であっても「自分のためにその出来事に出会わせてもらっているのだなぁ」
「こういうご縁だったんだなぁ」と心から思えたときに、
自分自身の深いところが解放されます。
 
この感覚は言葉にするのが難しいのですが、起きることすべてに深い意味があり、
自分の中にあるものが現実の世界に投影されていることを、頭ではなく心で
(もっというなら「魂」で)感じることから見えてくる世界でもあります。
 
「詫びて花咲き、お礼で実る」のです。
 
田渕 裕哉
 
 
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