毎日が小さな修行20.

From : 田渕裕哉(2023/03/18 06:20:29)

2023年3月18日(土)
おはようございます。今朝は福島県の郡山からお届けしています。

最も素晴らしいこと。
「自分の能力を最大限に発揮する」「失敗は挑戦した証」
「自分のなりうることのできる最高の自分になるために、今、ベストを尽くしているか」
最も恥ずべきこと。
最善の努力をせず落ちぶれる自分を仕方ないとすること。「自滅」

昔の親は、大した情報を持っていなくても、口数が少なくても、
子供が尊敬するような部分があったように思います。

親の背中が無言で教えてくれていました。

子供にとっては窮屈だったかもしれませんが、教育とは本来、窮屈なものです。

自由奔放に育てていては脇芽が増えるだけです。

昔の子供たちは、そんな窮屈な中で、手探りで生きる道を考えていきました。

そういう環境がありました。ところが、今は聞き習いです。

聞いて自分が納得しないと動かない人が多いようです。

私たちの修行時代は見て習う、見習いでした。

そのときは意味がわからなくても納得できなくても、指摘を受けた
「すみません」と反省して、師匠や先輩のやっている通りに見て、
自分でやってみるうちに、だんだんとできるようになりました。

これが見習いの極意です。

そのときはわからなくてもいい。手探りでもいい。

ただ人を恨まず、憎まず、常に素直に自己を省みる反省の心と、
どんなささいなことからも学ぼうとする学びの心があれば、
いつか必ず真理が掴めます。

これがお坊さんになって二十五年経った、今の私の学びです。

人間ですから間違いもあります。すると師匠からこっぴどく叱られます。

そんなとき、二度と同じ間違いをしないと心から反省することが大切なのです。

そこで「自分だって頑張っているのに」と、師匠に対して反発心を持ったり、
あるいは恨みや憎しみの心が生じたとしたら、
人生はとんでもない方向に進んでしまいます。

否定されることに耳をふさいで「もう、これ以上はいわないで」
と心のシャッターを閉めてしまえば、そこで成長は止まってしまいます。

さて、一生懸命頑張っても、人の器というのはほんの少しずつしか
成長しないものです。

自分の器は自分が一番よくわかっています。

しかし、よくわかっているようでわかっていないのも自分自身です

とかく私たちは、自己を過大評価しがちなところがあるようです。

明日に続く。

田渕 裕哉

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