超葉隠論26.

From : 田渕裕哉(2025/03/04 07:58:19)

2025年3月4日(火)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

指導者の志。
指導者は指導者としての公の怒りを持たなくてはならない。

死ぬために生きることが、真に生きることなのだと知る必要がある

実は生きることの真の出発とは、死に方を決めることに他ならなかったのだ。

「死を教えることは、生きることを教えることになるだろう」モンテーニュ

高貴な生き方とは何か。そして崇高な死に方とは何かを私は問うている。

ただ一度の人生である。高貴を求めずして、何の気概やある。

出来るか出来ないかなどを問う者は、すべて臆病者でしかない。

 

人間としてこの世に生まれたなら、自己の生命に高貴を求めずして何とするのか。

真の生き甲斐とは、高貴な生であり、また崇高な死である。

それが人間として生まれた者のやるべき使命なのだ。

人間の使命とは、そう生き、そう死ぬことにある。

現世のことなど、どうでもいいのだ。

そんなものは、我々の価値に何の関係もない。

それこそ、適当にやっておけばそれでいい。

田渕 裕哉

あなたの大切な人に、このメッセージを転送してください。
多くの人が幸せになりますようにお祈りしています。

毎朝8時の無料配信を直接ご希望の方は、
お名前とメールアドレスを下記まで
お送りください。 ⇒ ask@dc-group.co.jp
どなたでも無料で登録できます。

また配信解除ご希望の方は、配信解除希望の返信メールをお願いします。
tabuchi@dc-group.co.jp または、ask@dc-group.co.jp まで。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメント