ジェームズ・アレン全一冊16.

From : 田渕裕哉(2021/05/11 07:59:19)

2021年5月11日(火)
おはようございます。今朝は涼しい千葉からです。

くよくよから脱するには自分を客観視する。
すると「しょせん、すべては小さなこと」と過剰反応しなくなる。
また、くよくよは自分を大きく成長させてくれる道具となる。
人生は小さなことを騒ぎ立てるか、それを水に流して忘れるかの選択だらけ。

自分自身のなかにある無知を自覚すると、次はそれを悟りたいという欲求が生まれます。

こうして、聖人の喜びである向上心が心のなかに誕生するのです。

向上心とは、正義、思いやり、清らかさ、愛といった天国的なものへの切望のことです。

それは、個人的な所有、個人的な優位性、低俗な快楽、
感覚的な満足といった、世俗的なものへの切望とは明確に区別されます。

羽を奪われた鳥が飛べないように、向上心のない人も、周囲にあるものから
解き放たれることも、自身の動物的な性向をしつける主になることもできません。

そのような人は、情念の奴隷であり、他人に流され、身の回りで起こる、
ころころと変わる出来事に右往左往しているのです。

人は切実に求めたものを得ます。

人の強い思いは、その人が成し得るものの目安となります。

心をあることに固定させれば、それを達成するように運命づけられているのです。

商人がたゆまぬ努力によって世俗的な成功を収めるように、
聖人は向上心と努力によって精神的成功を成し遂げるのです。

人は、精神的エネルギーをどこに向けるかによって、
商人にも聖人にもなることができるのです。

向上心の喜びが心に触れると、すぐさま心が浄化され、
不純な垢が剥がれ落ち始めます。

向上心が心を占めている間は、いかなる不純物も侵入することはできません。

なぜなら、純粋なものと不純なものが同時に思考を占領することはできないからです。

しかし、向上心を持ち続けるための努力は、最初は断続的で、長続きしません。

心はすぐに習慣的な過ちに逆戻りしてしまうので、
つねに新たな気持を持って努力をし続ける必要があります。

向上心は、欲求と同じように、日々の習慣によって養い、強化することが可能です。

田渕 裕哉

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