ジェームズ・アレン全一冊17.

From : 田渕裕哉(2021/05/12 07:16:52)

2021年5月12日(水)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

部屋やオフィスを片付ける時は「全捨て前提」で「カテゴリーごとに」取り掛かる。
そして以下の3つを選ぶ。1. それ自体にときめきを感じるモノ
2. 機能面で役に立つモノ3. あなたのときめく未来につながっているモノ
「ときめき」をを増やすことで身の回りをシンプルにして喜びの感度をあげていく。

向上心は、神の導きとして、求められ、心に受け入れられることもありますし、
無視され、心から締め出されることもあります。

毎日、静かな場所、できれば戸外に少しの間だけ身を置き、
聖なる喜びの押し寄せる波のなかで、心のエネルギーを呼び覚ましてください。

そうすれば、神の運命を受け入れ、偉大な精神的勝利を手にする準備が整うのです。

そのような喜びは、知恵を獲得するための準備、平和への序曲なのです。

心が清らかなことを考えられるようになる前に、
そこまで心を持ち上げなくてはなりません。

不純なものを超越しなくてはならないのです。

向上心は、それを達成するための道具なのです。

向上心は人を天国へと導いてくれますが、そこに留まるためには、
心のすべてを天国の状況にしたがわせなくてはなりません。

このときに役立つのが誘惑です。

誘惑とは、思考の中で、清らかな状態から
情念に振り回される状態に逆戻りすることを言います。

そこは、向上心から欲望への退行なのです。

 

けがれない知恵と穏やかな思考の泉のなかで鎮められるまで、
欲望は向上心を脅かし続けます。

向上心の初期段階では、誘惑は微妙ですが、力強く、敵とみなされます。

しかし、こうした場合においては敵ですが、
自分自身の弱さや汚れを明らかにしてくれるという意味では、
誘惑は友達であり、精神的鍛練には必要不可欠なのです。

人は、向上心を持ち始めると同時に、誘惑され始めます。

向上心とは、隠れているあらゆる善と悪を呼び起こします。

自分自身を完全に明らかにするためです。

というのも、自分を完全に知らない限り、克己など不可能だからです。

誘惑されているからといって、その人を動物的な人間などと言うことはできません。

なぜなら、誘惑が存在するということ自体が、
より清らかな状態を追求しようとする心の存在を意味するからです

田渕 裕哉

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