ジェームズ・アレン全一冊21.

From : 田渕裕哉(2021/05/16 05:45:49)

2021年5月16日(日)
おはようございます。今朝は福島県郡山市からお届けします。

真に成長、進化するには「何分やった」という時間の長さではなく
「何に集中して取り組んだか」「どこを意識したか」「何を得たのか」
という「新たな取り組み、新たな発見」の方に集中する。
「モデルとなる動き、プロセス」を細かく分析しよう。これを繰り返すことがカギ。

至福は善良な人間の通常の状態です。

超越的な道徳心を持つことは、超越した喜びを味わうことです。

イエスが示す至福に満ちた祝福は、慈悲深い人、汚れない心を持つ人、
平和をもたらす人といった、輝かしい徳を備えた人に約束されています。

より高貴な道徳心は単に幸せをもたらすだけではなく、
そのもの自体が幸せなのです。

超越的な徳を備えた人が不幸せになることは不可能です。

不幸の原因は、自我を愛する心の要素にあるのです。

自己犠牲の資質のなかにはありません。

道徳心を持ちながらも、不幸せなことはあるかもしれません。

しかし、神の道徳心を持っていればそのようなことはありません。

人間の道徳心は自我と絡み合っているため、悲しみを伴うのです。

しかし、神の道徳心からは、あらゆる自我の汚れが一掃されているので、
惨めさの跡も一切消えているのです。

人間的な道徳心を持つことは、真理への大きな第一歩です。

しかし、神の道はそれを超越しています。

真理は、そのはるか彼方に存在しているのです。

超越的な道徳心においては、すべてが善であり、善がすべてです。

そこには一切の利己的な目標も隠された目標もありません。

人間的な道徳心は不完全であり、卑しく利己的な要素と結びついているため、
転換させる必要があります。

神の道徳心は一点の汚れもなく純粋で、完璧なのです。

では、至福を具現化する超越的な徳とは一体どのようなものなのでしょうか。

「公平無私であること」「限りなく優しいこと」「並外れて忍耐強いこと」
「実に謙虚であること」「完全に清らかであること」
「乱れない穏やかさを持っていること」「善良な心を持っていること」
「思いやりがあること」「愛情深いこと」「平和な心を持っていること」

こうしたものが、悪と悪徳を超越する道徳心です。

これらは徳を体現しつつも、それを超越して神の真理へと向かうのです。

田渕 裕哉

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多くの人が幸せになりますようにお祈りしています。

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