超葉隠論11.

From : 田渕裕哉(2025/02/17 07:13:59)

2025年2月17日(月)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

それぞれの人格を尊敬しよう。あの人も人である。
いや、神である。自分も人である。自分の好まないことは人も好まない。

覚悟に集中する日々を送るのである。

そのときの感覚を、私は宇宙の暗黒流体が自己の存在の中に
侵潤して来ると捉えているのだ。

その感覚を分かってほしいと願っている。

葉隠の思想と自己が対峙し続ければ、必ずそのような状態に
なって来るのだ。

その状態が、孤独の中でしか行なわれないということの
重要性を知る必要がある。

日々の気晴らしに現を抜かしている人間は、この覚悟という
魂の崇高と出会う日は永遠にない。

マルチン・ブーバーの「我と汝」において、神と自己の真の関係
について孤独がいかに大切かが述べられている。

神を感ずるためには、絶対的な孤独が必要であると説かれている。

私が葉隠に対して思うことは、これと全く同じ考え方である。

絶対的な魂の価値と向き合う場合、人間はそれと対峙し続ける
絶対的な孤独が必要となる。

私は葉隠を神と等しいものとして日々出会い続けて来たのだ。

だからこそ、その魂が自己に侵潤するためには、孤独ほど
大切なものはないと知ったのだろう。

田渕 裕哉

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