毎日が小さな修行13.

From : 田渕裕哉(2023/03/11 07:03:42)

2023年3月11日(土)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

「今日、1日の区切りで生きる」習慣を身に付けよう。
太陽が没するまでなら、誰でも快活に、辛抱強く、親切に生きられる。
昨日は夢であり、明日は予感である。今日だけが真実だ!

生きていれば日々いろいろなことが起こりますが、すべてプラスに考えて、
マイナスもプラスに転じる努力をしていく。

自分がどんなに辛くても、自分の縁のあった環境の中で何事にもとらわれず、
自然体で輝き続ける努力をしていくと、自分も周りも自然と幸せになっていきます。

さて、今、自分がこのように在るのは、まず私を生んで
そして育ててくれた親がいて、そして修行の道に導いて
くださった師匠のおかげだと心から感謝しております。

子供の頃に育ててくれた母は、礼儀や挨拶はもちろんのこと、
他人に対する思いやりなど、細かなことでも生き届いていない
ところがあると、厳しく私を教育してくれました。

「どうして自分の家はこんなに窮屈なのかな」と子供の頃は思ったものです。

しかし、社会に出ると、あのときの母の厳しい教育が
あったからこそ今の自分があるのだと気づくようになり、
厳しさをありがたさとして受け取ることができるようになりました

特に親に口答えをしない。好き嫌いをしない。約束を守って嘘をつかない。

この三つに関しては、母は特に厳しかったように思います。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行12.

From : 田渕裕哉(2023/03/10 08:05:27)

2023年3月10日(金)
おはようございます。今朝もいい天気の朝の千葉からです。

成功の秘訣は、誰かよりも卓越しようとするのではなく、
誰かにとっての卓越した存在になろうとすること。

お天道様のような人は、周りに幸せを、笑顔を、
明るさを与えようと精一杯努力をしている人です。

お月様のような人は、誰かに照らしてもらいたい、
優しい言葉をかけてもらいたいと待っている人です。

この与えるほうの人は、お月様のように自分から光を発していない
人に対しても、周りが明るくなるような存在になってほしいと思い
いろいろとアドバイスをします。

しかし、いくらいいアドバイスをもらっても、それを受けるほうの人が
自分で研究心・探求心を持って創意工夫して、自分から明るさを
発するように努力して変わっていかなければ、闇の中からは抜け出せません。

二千五百年も前にお釈迦様は、与えられるのを待っている人から
自分で転換して、明るい方向へ歩んで来ないと幸せにはなれない
ことをお示しになりました。

たとえば、家族の中に一人でもお天道様のような人がいたら、
その家は暗くなりません。

ところが、家族全員が求めている人ばかりだったら
「どうして、なんで」とお互いに相手の欠点ばかりを指摘して、
喧嘩が絶えない険悪な雰囲気になってしまいます。

これは会社も同じでしょう。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行11.

From : 田渕裕哉(2023/03/09 07:02:48)

2023年3月9日(木)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

努力には「直接」と「間接」の2つがある。
1.直接の努力の方向は間違っていなかったか?
2.間接の努力は十分にされていたか?
努力を努力と思っていない人。これを努力を極めし人なり。

たとえば、勢いのある大きな炎でも、初めは小さな炎からはじまります。

私たちの人生も同じだと思うのです。

それを絶やすことなく燃やし続けるうちに、だんだんと大きな炎になります。

さらに燃やし続けると、やがて年老いて炎も弱まり、
最後は消えて土に還り、多くの若木の肥やしとなります。

始まりがあれば終わりがあるというのは、この世の常です。

森羅万象すべてが生じて、盛んになって、そしてまた滅していく。

そこには恨みも憎しみも妬みも似合いません。

この炎をわがままという心や我欲という水で消してはいけません。

上手に絶やすことなく最後の一息まで美しい炎を保ち続けていくことが、
私たちが生まれ持った定めではないかと思います。

そしてこの定めの通りに生きて、若い人たち、これからの世代の人たちの
お手本となるような姿を心の中に残してあげることができたならば
とても幸せな人生だと思うのです。

さて、第三者が自分をどう見ているかはなかなかわかりません。

自分の目は他人に向いていますが、他人が自分から受ける印象が
どういうものなのかはわかりにくいものです。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行10.

From : 田渕裕哉(2023/03/08 07:59:14)

2023年3月8日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

「あなたは何のテーマを追いかけているのか?」
「問い」のないところに「学び」はない。
そして「問い」を生み出すのは「好奇心」と「情熱」と「出会い」

人間が迷うのは自分の思い通りにならないことがあるからです。

どうにもならないことをどうにかしたいと思うわがままな心がなくなれば、
迷いもなくなります。

この心理に気づくと、他人との争いや、問題もすくなくなると思います。

この天地の素晴らしい道理に則して生きていくと、
良い縁、良い運がどんどん巡ってきます。

その良い縁に導かれて精一杯努力の火を燃やし続けて、
上手な生き方をすればいいのです。

人の目を気にして自分を良く見せようとしたり、自分さえよければ
他人はどうでもいいという考え方は、とても下手な生き方です。

迷いの世界に落ちるような生き方です。

かしこく生きるのではなくて人生を上手に生きる。

このコツを掴んでしまうと、
非常に楽しく心軽やかな生き方ができるようになります。

そのポイントは、常に素直で謙虚な心でいること。

そして感謝・反省・敬意の気持ちを持つこと。

そういう姿勢で天地の法則に則して生きていれば、
人間関係のトラブルはほとんど回避できます。

もし、トラブルが起こったとき、どちらが良いか悪いかは五分五分です。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行9.

From : 田渕裕哉(2023/03/07 08:00:38)

2023年3月7日(火)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

もしかしたら、あなたの心が穏やかでないときは、
あなたの心の問題ではなく、あなたの周りの「人口密度」の問題かもしれない。
自然は精神的な機能を回復させる。

親子の関係、先生と生徒もそうですが、
教え導いてくれる人の存在は非常に大きなものです。

私の師匠は他界してしまいましたが、心の中には今でも師匠がいます。

本当にありがたいものだと思います。

ただ単に自分の持っている技術や知識を弟子に教える。

受け手の弟子側は、それを一方的に教わるという関係だけでは、人間は成長しません。

人にはさまざまな心の状態があります。修行僧でも悟りとは
「ほど遠い」者もいれば、悟りに「近づきつつある」心の状態にある者もいます。

そうした弟子の心の状態に応じて、ときに飴と鞭を使い分けて、
その人が伸びていきやすいように教え導く。

それには単に教えるだけでなく、師に心から我が子を思うような
慈愛に満ちた愛情がなければなりません。

そして弟子も、師匠に尊敬と敬意を払う態度をどんなことがあっても崩さない。

そこに初めて真の師弟関係が結ばれ、真の教育が成り立ちます。

慈眼寺では今年もたくさんの野菜をつくりました。

千三百個の白菜、三百個のキャベツ、二千本という大根を収穫しました。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行8.

From : 田渕裕哉(2023/03/06 07:59:14)

2023年3月6日(月)
おはようございます。今朝は雨が上がった千葉からです。

今、何か困っていることがあるなら、現在に集中するための好機ととらえよう。
障害や困難や恐れというのは、しょせん、想像の産物だ。
一瞬一瞬を新たな気持ちで生きよう!

どんなに辛く苦しいことがあっても、努力の炎だけは絶やしてはいけません。

どんな達人といわれる人でも、第一歩を踏み出したときは初心者です。

この初心の段階から一歩一歩努力鍛錬を積み重ねて、
達人といわれるまでに成長するのです。

その間には、迷い、悩み、苦しむこともあるでしょう。

逆に迷わなければ、技術も精神も、成長しません。

少しずつ努力を積み重ねていって、初めて成果が表れるのです。

人間はなぜ迷うのでしょうか。

それは、自分の思い通りにならないことを思い通りにしたいという我欲にかられ、
思い通りにならない不平や不満を人のせいや環境のせいにして、
自分を庇う生き方をするからでしょう。

そうやって自分で迷いの世界を彷徨っているだけなのかもしれません。

たとえばお坊さんは「穏やかで慈しみのある心になりますように」
ということを一つの目標に修行をはじめます。

早起きをし、滝に打たれ、食事をせず、山々を歩く。

これは自分が穏やかになるための一つの手段であって、
それが出来たからといって、何も偉くなどありません。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行7.

From : 田渕裕哉(2023/03/05 07:48:42)

2023年3月5日(日)
おはようございます。今朝は新潟県の長岡からお届けします。

なにを成し遂げるかがわからなくても、自分はどうすると幸せなのかは分かろう。
成功とは、達成が指標になるわけではない。幸福度が指標になるのだから。
なにを目指すかより、誰となにを分かち合うかを考えよう。
達成より幸福は尊い。幸福になりながら、達成へと至ろう。

今日は午前中に畑で作業をしていて、雨が降り出すまでのほんのわずかな時間に
「パッと行きましょう」と収穫を終わらせました。

畑というのは、ご存知の通り、雨が降ったらしばらくは入れません

そして九月上旬のこの季節になると、晴れても畑の湿気がなかなか
抜けなくて耕せなくなります。

そうすると、種蒔きの時期が遅くなり、芽が出る時期も遅くなります。

結局、十分に育たたないまま冬になって失敗してしまいます。

今日も少し雨が降りはじめましたが、もしかすると畑を
耕せるかもしれないと考えて、五分、十分という時間で小さい畝を耕し、
来年の畑の肥料になる窒素分の多いレンゲソウの種を蒔くことができました。

雨が降り出したから「もうダメだ」というのではなくて、
お天気と相談して「ここを攻めたら、これぐらいできるかな」
と創意工夫を次から次と考えてみる。

こういう攻めの姿勢が後々効いてきて、人としての成長にもつながっていきます。

誰かにお仕えさせていただき、皆さんが喜んでくださったら、自分の心が潤います。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行6.

From : 田渕裕哉(2023/03/04 06:39:40)

2023年3月4日(土)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

独学とは、誰かが書いた本を学ぶことではなく、自らが立てたテーマ(問い)を
追求していくためにしていること。「あなたは何のテーマを追いかけているのか?」
「問い」のないところに「学び」はない。
そして「問い」を生み出すのは「好奇心」と「情熱」と「出会い」

自分の中で「何時までに終わらせる」という区切りを決めて、
その時間まで精一杯、一心不乱に自分の力を出し切りました。

そういう小僧の頃からの積み重ねが千日回峰行に反映されたと思います。

「一時間でやってください」といわれても、一時間を越えてしまう人もいます。

中には一時間半かけてゆっくりとやってくる人もいます。

しかし私は、一時間といわれた中から、どれだけ時間を短縮して、
相手が喜ぶ質の高い仕事ができるかを考えました。

そして予定より十分でもニ十分でも早く帰ってきたら、
先輩の許可を得て、短縮できた分を自分の学習の時間に当てることができました。

ホラ貝の練習をしたり、勤行の技術を高めることに使ったのです。

その結果、勉強もできて技術も高まりました。

やる気一つですべてが相乗効果となって、全体がそういう雰囲気になり、
自分の置かれている環境も良くなるのです。

ですから、与えられた環境の中でいかに妥協せずに一日を過ごすかだと思います。

「妥協できるとしても、我慢して妥協しない」。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行5.

From : 田渕裕哉(2023/03/03 06:37:30)

2023年3月3日(金)
おはようございます。今朝は寒いですがいい天気の千葉からです。

悪いアイデアは、悪い未来をつれてきて、
良いアイデアだけが、良い未来をつれてくるというのは大間違い。
悪いアイデアの先に、良いアイデアがまっていて、
それは反対のものではなく、ひとつながりのもの。

私は、まだ若かったので、山の歩き方もわかりません。

力に任せて勢いよく登って途中で休憩していると、おっちゃんがぼちぼちと歩いてきました。

するとまた「亮潤さん、先に行ってください。わしは足が遅いさかいに、
ぼちぼち行きますわ」というので、私はまた勢いよく進みました。

そして途中で休憩しておにぎりを食べていると、また、おっちゃんがぼちぼちと歩いてきました。

結局、山頂に着いてみれば、足が遅いといっていたおっちゃんと、
かかった時間はほとんど変わりませんでした。

そこから私は「ぼちぼち」という言葉が好きになって、
ぼちぼちと根気よく丁寧に千日を歩くことを心がけました。

これをモットーにして、調子のいいときには自重して体力を温存して、
その分しんどいときに力を出し切れるよう、淡々と同じペースを
守りながらぼちぼちと行じることを心がけました。

体調も崩すこともなく、大きな怪我をすることもなく、四万八千キ
という長い道のりを無事行じ終えることができたのは、それが理由だと思います。

人生だって毎日がいいことばかりではありません。

晴れのヒモあれば雨の日もあるように、いろいろと思いがけないことが起こることもあるでしょう。

しかしどんなことが起ころうとも、あせらずに、
ぼちぼちと目標に向かって前に進んでいると、何か見えてくるものがあります。

そんな、一つひとつの積み重ねが人生なのだと思います。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行4.

From : 田渕裕哉(2023/03/02 06:15:41)

2023年3月2日(木)
おはようございます。今朝は寒い朝の千葉からです。

ゆっくり、静かに、ものごとをみて、考える時間を持ちましょう。
1週間に1時間。たとえ退屈だなって思っても、想像力が枯渇するよりはマシ。
あなた独自の発想は、ゆっくりと、静かに動いているのです。

毎日四十八キロを歩く千日回峰行にしても、今日という日を大切に
そして少しでも人としての正しい道、真理に近づこうと、
一歩一歩しっかり地に足をつけて、目を凝らし、耳を澄まし、
何かこの大自然が教えてくれるものはないかと精根尽きる果てまでやれば、
たった一日歩くだけでもへとへとになります。

それを日々繰り返して千日歩けば、千個の功徳を積むことができるのです。

しかし、今日一日、手を抜いてしまえば、次の日は二個の功徳を積まなければなりません。

翌日も疎かにしたら、三日目は三つ積まなければならなくなってしまいます。

そうなれば、だんだん苦しくなります。

逆に、今日は翌日の分まで功徳を積み上げていこうという意気込みでいると、
努力の貯金ができるのでしょうか。

どんどん気持ちが前向きになって、辛いことも辛くなくなり、むしろ楽しくなってきます。

そして不思議なことにどんなに極限に追い込まれても、前向きな気持ちになれるのです。

そういう体験を行の中で何度も繰り返し体験しました。 >>>続きはこちらから