感じる気分が人生をつくりだす4.
From : 田渕裕哉(2013/07/11 07:55:08)
おはようございます。今朝はいい天気の札幌からです。
昨日は念願の足寄に行きました。松山千春の故郷です。
道の駅に記念碑が建っていたり、千春のコーナーがありました。
一人の人物の生き方の影響力を感じました。感動しました。
ネガティブなエネルギーの源は一つしかありません。
私たちが望んでいないこと、つまりやりたくないことです。
信じられないかもしれませんが、日常生活の中で考えたり、
感じたりしているものの多くが、実は「望んでいないこと」なのです。
いつでも無意識にそうなってしまうので、とめようがありません。
例えば、こんなことが考えられます。
・会社に遅刻したくない
・上司の機嫌を損ねたくない
・日照りが続いて欲しくない
・恰好悪いと思われたくない
・子供たちにケガをさせたくない
・インフルエンザにかかりたくない
・解雇されたくない
・行列待ちをしたくない
・朝、起きたくない
・請求書を受け取りたくない
・寒いところに住みたくない
・信号が赤になって欲しくない
・離婚したくない
・隣に引っ越してくる人が困った人でないように思うと、
うるさく吠える犬を連れた隣人が居座るのです。
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感じる気分が人生をつくりだす3.
From : 田渕裕哉(2013/07/10 06:32:46)
おはようございます。今朝は曇りの北見からお届けしています。
今日はレンタカーで北見から帯広に移動します。途中で「足寄」に寄ります。
松山千春ファンの私は非常にワクワクしています。
「家」にも行ってみたいと思います。詳細は、明日、報告します。
新しい車が欲しいとしましょう。
今の車もまだまだ動くので、すぐに買い替えなければならないというわけではないとします。
ただ、どうしても欲しいのです。
欲しいのは、ホイールがスポーツ仕様のおしゃれな赤いオープンカーです。
いったいどうしてでしょうか?
新車は長年の夢で、ずっと頭の中にあるというのに、
どうしてガレージには、あの車がないのでしょうか?
ある日、高速道路を走っていると、目の前にあこがれの車を見つけました。
自分が買えない車を羨望の眼差しで見つめます。
どうしても欲しいという気持ちになります。
うらめしそうに、その車を眺めながら「かっこいいな」と悔しがります。
夢の車を見てウットリと楽しい気分になるのではなく、逆に落ち込んでしまうのです。
しまいには「どうにでもなれ!」と投げやりになります。
新しい車がまだ手に入らない原因はここにあります。
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感じる気分が人生をつくりだす2.
From : 田渕裕哉(2013/07/09 05:34:41)
おはようございます。今朝は、びっくり暑い札幌からです。
今日は朝、オホーツク1号に乗って、札幌から北見に行きます。
初めて乗る列車で、北見も初めてなので楽しみです。
新しい出逢いも楽しみにしています。
どうも人生は、頭で考えることがつくりだしているのではなく、
感じる気分がつくりだしているようです。
人生を変えたい、お金や健康、安全を手に入れたい、幸せになりたいという人は、
ただ「気分」をどう扱うか、というシンプルな方法を身に付ければいいのです。
そうすれば、目の前に新たな世界が広がるのです。
人生は偶然ではありません。
どうやって自分で人生をつくりだしていくかを考え、自分で人生を切り拓いてこそ人生です。
その決め手は「どうやって心の動き(バイブレーション=振動)を感じるか」です。
この世のあらゆるものがエネルギーによってつくられています。
私もあなたも、岩やテーブル、葉の先の部分でさえエネルギーがあるのです。
このエネルギーとは、実は心の動き=バイブレーションです。
つまり、私やあなたを含めて、振動を発するすべてのもののことです。
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感じる気分が人生をつくりだす1.
From : 田渕裕哉(2013/07/08 07:25:44)
おはようございます。今朝も暑い千葉からお届けします。
今日は夜に札幌に入ります。夜は札幌でアポイントがあります。
土曜日にジムに行って、筋肉痛で困っています。
少し運動したくらいで、情けないです。
あなたは自分の気分を意識して生活したことがありますか?
人は幸せな気分(気持ち)を感じたくて生きていると言っても過言ではありません。
例えば、お金を手に入れたいのは「安心」という気分を手に入れたいからかもしれません。
お金そのものは、ただの紙切れですが、
それで人をハッピーにさせることができるので、欲しいのかもしれません。
人をハッピーにさせることができれば、気分がいいからです。
そのように「気分」が一番大事だと分っていても、
人は「気分」を意識しては生活しません。
その証拠は人のことを悪く思うからです。
人のことを悪く思うと、よい気分にはなれません。
嫌な気分のなるのが普通です。
でも人は、人を悪く思うことを止めません。
私は「人を悪く思うことは、自分を不幸にするから損だよ」と言います。
これが幸せに生きるコツです。
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手放す技術7.
From : 田渕裕哉(2013/07/07 07:16:12)
おはようございます。今朝は快晴の千葉からです。暑いです。
昨日は久しぶりにスポーツジムに行きトレーニングしました。体が筋肉痛です。
今日は家族で、成田と千葉の教会に行きます。
1週間の反省と新たな1週間の計画を立てる日です。
今日は「恐れ」と「不安」を手放しましょう。
「恐れ」は、私たちの心が、過去のつらい経験を未来に起こるかもしれない出来事と
関連づけて「また、あの苦しみを味わうかもしれない」と想像することで生まれます。
一方「不安」は、長期間にわたって感じることが多い、
漠然とした「きっとうまくいかない」と心配する気持ちです。
そして「恐れ」と「不安」は、どちらも私たちの心が勝手につくりだした、
まだ実現しておらず、永遠に実現しないかもしれない未来に対する心の反応です。
つまり、心が存在しないものに反応しているだけなのですから、
怖れと不安も、実際には存在しないはずなのです。
ところが、心は現実と非現実を区別することができません。
心が存在しない未来に怯えてパニック状態に陥ると、
身体も、それが今起きているかのように反応します。
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手放す技術6.
From : 田渕裕哉(2013/07/06 07:18:53)
おはようございます。今朝は蒸し暑い千葉からです。
来週の火曜日の10日は妻の誕生日です。
その日は、出張でお祝いをすることができないため、昨日プレゼントを買いに行きました。
ケーキは今日買って、家族みんなでお祝いする予定です。
怒りは、執着していたものが失われたときや、
欲していたものが手に入らなかったときに起きる心の反応です。
すでに終わったことを引きずっている状態です。
怒りは、抱えているとつらい、まさに心の痛みです。
怒りによって心がかき乱されるとき、私たちは「はらわたが煮えくり返る」ように感じたり
「胸が引き裂かれる」思いで胸に手を当てたりしています。
これは決して偶然ではないのです。
身体と心は、エネルギーのレベルが違うだけで、もともと同じものからできています。
心への負担が大きいと、身体の痛みや不調となって表れるものは、ごく当たり前のことなのです。
ですから、怒りを上手に手放すことは、身体の健康を保つためにも大切なのです。
インドの聖典には次のような言葉があります。
「執着から欲望が、欲望から怒りが生まれる。怒りは人を破滅に至らせる」
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手放す技術5.
From : 田渕裕哉(2013/07/05 07:05:08)
おはようございます。今朝は涼しい千葉からです。
昨夜(正確には今日)遅くに千葉に戻りました。
今日は、千葉でミーティングがあります。
そして少しの時間ですが、夫婦で出かけます。
あなたは快楽と苦痛が同じものであると言ったら驚きますか?
私たちが快楽への欲望に執着すると、幸せをもたらすはずのものが、
さまざまな苦痛を生み出します。
快楽を求めて苦痛を味わった経験は、皆さんにもあるのではないでしょうか?
ここでは、お金を例に、快楽が苦痛に変わる仕組みを見てみましょう。
お金は、、ほとんどの人が欲しいと考えるもののひとつです。
確かに、お金がたくさんあれば、生活はより便利で快適になります。
買いたいものを我慢しなくてもいいし、あくせく働く必要もありません。
けれども、お金は必ずしも幸せだけを運んできてくれるわけではありません。
もし、宝くじで100万円が当たったら、あなたは大喜びするでしょう。
どんなことに使おうか、わくわくしながら考えるのではないでしょうか?
これは快楽ですね。
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手放す技術4.
From : 田渕裕哉(2013/07/04 07:03:18)
おはようございます。雨が降ったり止んだりの福井からです。
昨日の研修は、大変盛り上がりました。
今の若い人の学びたいという意欲はスゴイです。
今日も彼らのニーズに応えるように全力でいい研修にします。
時代や文化を超えて、人間が根本的に求めるものには、
4つの種類があると考えられています。
それは「安心」「快楽」「調和」「自由」です。
ひとつめの「安心」は、私たちが生きるためになくてはならないものです。
現代では、おそらく人間関係と仕事(収入)が最も安心感をもたらすものでしょう。
2つめが「快楽」です。
快楽は、ある程度の安心が保証されたあとで、私たちが目を向けるものです。
快楽は、なくても生きていくことができますが、とても心地よいものなので、
私たちが最も執着しやすい欲求です。
3つめは「調和」です。
調和には、心の安らぎ、友情や愛情、憐れみ、そして分かち合う喜び、
人の役に立つ喜びが含まれます。
前の2つと比べると、人生経験を積み、精神的に成熟してはじめて感じる欲求です。
安心と快楽の代わりに調和を求める人は、ストレスの少ない人生を送ることができます。
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手放す技術3.
From : 田渕裕哉(2013/07/03 06:30:46)
おはようございます。今朝は雨が降っている福井からです。
今日、明日と福井のジョブカフェ主催で若手社員を対象に研修を行います。
テーマは「前向き社員養成塾」です。福井県内の様々な会社から参加します。
彼らとふれあい、彼らに影響を与える機会を楽しみにしています。
私たちは無知であることに気づかなければなりません。
無知が執着を生むからです。
例えば私たちの多くは「私はこの身体だ」という思い込みをしています。
これは私たちの多くが無意識のうちに、毎日のように犯している過ちです。
例えば、あなたが「私は病気だ」と言うとき、病んだり痛んだりしているのは身体、
それも身体のどこか一部分であることがほとんどです。
あなたという存在のすべてではありません。
「あの人、かっこいい」とか「かわいい子だね」と言うのも、
ほとんどの場合、身体のことを指します。
このように私たちは、私たちの身体を私たち自身と同一視することが多いのです。
では「私はこの身体だ」という錯覚のどこが問題なのでしょうか?
それは「私はこの身体だ」と思い込むことで、
唯一の頼みである身体に対する執着が生まれることです。
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手放す技術2.
From : 田渕裕哉(2013/07/02 06:45:02)
おはようございます。今朝はいい天気の福井からお届けします。
今日は13:30~15:30に福井の福井県教育センターにて、
「アンチエイジング・ビジネス」セミナーを開催します。
参加無料ですので、ぜひ、お近くの方は、一度、ご参加ください。
物質的にも精神的にも手放すべきものがあることを、私たちは直感的に感じとっています。
そして、新しいものを手に入れるには、古いものを手放す必要があることも知っています。
「手放す」というと、いらないものを取り除いたり、やめたりすることだと思われがちですが、
実は「手放す」とは、無理をせず、ものごとを自然にゆだねることなのです。
秋になると、木々は葉を落とします。
一枚一枚の葉は枯れ、枝は生気を失ったかのように見えますが、
それは春に新しい葉が芽吹くための準備にすぎません。
そして、落葉と芽吹きを何度も繰り返しながら、木は大きく育っていきます。
役目を終えた葉を手放すことは、木にとって特別なことではありません。
インドの人々は人生の最期を迎えたとき「熟れた果実が木から落ちるように」
自然に、この肉体を去ることができるように祈るそうです。
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