From : 田渕裕哉(2011/10/09 07:33:46)
おはようございます。今朝もさわやかな千葉からです。 今日は、家族で弁当を持って教会に行きます。 夜は、友人たちを呼んで、我が家でパーティーです。 聖書の中に、ダビデという王様が出てきます。 彼もまた、弱さを通して、強さを表した人物でした。 ダビデは、古代イスラエルの王サウルの部下として、王国のために戦っていました。 ダビデの活躍はめざましく、王よりも大きな戦果を収めていくなかで、 民衆はダビデを讃える歌を歌いました。 これに嫉妬したサウル王は、優秀な部下であるダビデを抹殺しようと試みましたが、 ダビデはその難を逃れて部下と共に流浪します。 王は執拗に追手を放ちますが、ダビデはそれを逃れ、 あるとき、サウル王の野営地にそっと忍び込みました。 そして、部下の一人をサウル王の寝所に送り、王の所持品を持ってこさせたのです。 ダビデは、このことで、王の命を取ることもできましたが、 そんなつもりのないことを証明したかったのです。 王は、この一件でダビデの真意を悟り、反省することになります。
力の論理から言えば、ダビデは正当防衛としてサウル王を倒して、 王となることができたのですが、それをしませんでした。 それは、サウル王が「神に選ばれた王」であるという一点を、 ダビデが大切にしたからでした。 それは、ダビデの神に対する義(正しさ)を全うする生き方からの判断でした。 神の義を大切にすることで、ダビデは、サウルが戦いに敗れて死んだ後に、 王となり、大いに祝福された時代を築きました。 大きな目的を見据えた上で、その目的を手に入れるために弱くなることの意味を ぜひ見い出していただければと思います。 力で相手を打ち負かしても、それは本当に勝ったことにはなりません。 北風と太陽の話のように、一見、強く見えるほうが、本当は弱く、 一見、弱く見えるほうが、本当は強いことがあるのです。 その強さこそ、本物の強さではないかと私は思います。 日本には「損して得とれ」とか「負けるが勝ち」のような 素晴らしいことわざもあります。 昔の人の素晴らしい知恵の現れだと思います。 キリストは言いました。 「私の恵みはあなたに対して十分である。 私の力は弱いところに完全にあらわれる。 なぜなら、あなたが弱いときにこそ、あなたは強いからである。」 明日からは「命を救う食生活革命」というテーマでお届けします。 お楽しみに! 田渕 裕哉 あなたの大切な人に、 このメッセージを転送してください。 多くの人が幸せになりますようにお祈りしています。 毎朝8時の無料配信を直接ご希望の方は、 お名前とメールアドレスを下記まで お送りください。 ⇒ ask@dc-group.co.jp どなたでも無料で登録できます。 また配信解除ご希望の方は、配信解除希望の返信メールをお願いします。 tabuchi@dc-group.co.jp または、ask@dc-group.co.jp まで。 ありがとうございます。
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