禅の言葉に学ぶ人生の教訓1.

From : 田渕裕哉(2014/03/03 07:50:33)

 おはようございます。今朝も寒く曇りの千葉からお届けします。

 
ヤンキースの田中投手は、さすがでしたね。素晴らしいデビューでした。
海外で活躍する日本人に励まされます。私たちも夢を大きく持ちたいものです。
さて、1週間のスタートです。最高の1週間になりますように!
 
 
大横綱の双葉山が69連勝したあと、70勝目を狙った勝負で負けたとき、
師と仰いでいた安岡正篤さんに宛てて残した言葉が
「いまだ木鶏たりえず」という言葉だったそうです。
 
木鶏とは木彫りの鶏です。
 
軍鶏どうしを闘わせる「闘鶏」で最強なのは、なにがあっても心を動じることなく、
泰然自若としている木鶏であるとした、荘子の言葉を用いたものですが、
70勝目の勝負で心が動いた自分は、いまだその域に達していない、
と自戒を込めて、師にこの言葉を伝えたものと思われます。
 
心技体がともに最高度に充実していたとされる双葉山にして、なお、
心に揺れが生じることがあるのですから「木鶏たる」のは、まさしく至難のわざです。
 
悪いことが起きたり、つらい境遇に立たされたりしたら、
気持ちが落ち込んでもいいのです。
 
そのうえで、負の心をプラスに転じていく、それが禅の教えです。
 
ある禅僧についての次のようなエピソードが伝わっています。
 

 修行の旅を続けている中で、禅僧は、ひどいあばら家で一夜を過ごすことになります。

 
天井には穴が開いていて、そこから落ち葉がまいこみ、
寒さをしのぐために床板を剥がして燃やさなければならない、
という具合ですから、禅僧がうら寂しい気持ちになったとしても不思議はありません。
 
しかし、ふと上を見上げると、破れた天井の隙間から煌々と月の光が射し込んでいる。
 
その光が自分を包み込んでくれていることに気づくのです。
 
そして「そうか、自分は今、素晴らしい時間を過ごしているのだ」と禅僧は感じた。
 
それまで心を占めていたうら寂しさは消え、幸福感に満たされたのです。
 
あばら家でやっと寒さをしのいでいる、という現実は変わりません。
 
しかし、それをうら寂しいと感じる一方で、
幸福だと受け取る方向に心を転じていくこともできるのです。
 
困難も逆境も、ひと皮むけるための格好のチャンスなのですね。
 
そう考えれば、むしろ困難や逆境は、歓迎すべきものだとも言えます。
 
良寛さんも「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候」と言っています。
 
心には、必ず「転じる力」があります。
 
そのことを知っておけば、艱難辛苦も「なんのその!」ですね。
 
田渕 裕哉
 
※ 今週のテーマの参考文献「心配事の9割は起こらない」桝野俊明著 三笠書房
 
 
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多くの人が幸せになりますようにお祈りしています。
 
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