真の成長のためのポイント14.

From : 田渕裕哉(2014/11/30 07:30:17)

 おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

 
昨夜は長男が遊びにきました。我が家は賑やかです。
さて今日は、1週間の振り返りと計画を立てる日です。
今年もあと1ヶ月。悔いのないように生きましょう。
今日は、千葉の教会に行きます。
 
 
今回のテーマ「真の成長のためのポイント」の最後に一番大切なポイントをご紹介します。
 
それは「純粋な愛」です。
 
どんなに自己成長しても、周りの人への純粋な愛が成長していなければ、
自己成長の意味がないと私は思います。
 
次の話を聞いてください。
 
江戸時代に白隠禅師なる座禅のマスターがいて、そのお弟子さんに
「おさつ婆さん」と呼ばれる高齢の大姉がいました。
 
大姉とは、在家でさとりをひらいた女性信者のことです。
 
そんなある日、おさつさんが大切にしていた孫娘が幼くして亡くなってしまいました。
 
おさつさんは、いつまでも孫娘の棺桶にしがみついて大泣きに泣き、
あまりに激しく泣くので、それを見かねて、ある人がこう言いました。

 「おさつさんよ、そんなに泣いては、せっかく禅のさとりをひらかれたのに、

台無しではないか・・・」
 
おさつ婆さんは、こう返しました。
 
「孫が死んで泣かない禅があるか!私が流しているのは、普通の涙じゃない!
真珠の涙じゃ!」
 
この話をどう思いますか?
 
真の自己成長は、大切な人を失ったときに、ただ真の悲しみの涙を流すことです。
 
自己成長するとネガティブなものをポジティブに見えるようになります。
 
しかし一番大切なのは、人としての心です。
 
これを忘れてはいけません。
 
聖書に次のような言葉があります。
 
「たとえ私が人々の言葉やみ使いたちの言葉を語っても、もし愛がなければ私は、
やかましい鐘や騒がしい饒鉢と同じである。たとえまた、私に預言する力があり、
あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、
もし愛がなければ、私は無に等しい。たとえまた、私が自分の全財産を人に施しても、
また自分の体を焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である」
 
明日からは「究極の思考習慣」というテーマでお届けします。
 
お楽しみに!
 
田渕 裕哉
 
 
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多くの人が幸せになりますようにお祈りしています。
 
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