毎日が小さな修行17.

From : 田渕裕哉(2023/03/15 06:44:17)

2023年3月15日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

愛するというのは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり
こちらが愛せば、きっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、
全面的に自分をゆだねることである。
愛とは、あなたにチャレンジを強いるもの。
愛とは、あなたの勇気を試すもの。

私の心にある信仰観は、一日の生活の中で善いことをして悪いことをしない。

朝起きると「今日も一日よろしくお願いします」と手を合わせ、
夜寝る前に「今日も一日ありがとうございました」と心で祈る。

これだけでも立派な信仰だと、私は思っています。

信仰と宗教とは違うものと、私の心の中で分けて考えています。

とかく現代は宗教でいうと、さまざまな決まり事に束縛されてしま
傾向がありますが、信仰は自分の心でするもの、たった一人でもできるもの。

信仰は、物でもなければ、形でもない、お金でもない。

お金をたくさん寄付したから神仏から優遇されるわけではありません。

私がこのような信仰観を持ったのは、古きよき日本の考え方が
残った家系に生まれたからかもしれません。

祖父もまるで幕末の人間かと思うくらい厳格でしかも人間味あふれる人でした。

祖母や母も信仰深く、思いやりのある人で深い世界で
本質的なものを心得ている人でした。

また学生の頃、母は私に勉強を強要しませんでした。

自分の人生だから自分で決めなさいと、自立と他人の協調を常々教育してくれました。

 

高校のとき、学年でニ番の成績をとり、通信簿と賞状を母に見せる
「それがどうしたの。母ちゃんは、点取り虫は嫌いなんだ。
学校の勉強よりも、もっと大事なものがある。それは人生の勉強なんだ」といって、
通信簿も見てくれないし、成績優秀者の表彰式にも来てくれませんでした。

母の信念は、家庭での教育は親が責任を持ってやるけど、
学校での教育は学校の先生にお任せしたいというものでした。

だから、小学校一年生の入学式以来、学校の行事には一回もきませんでした。

また病気がちなこともあり家庭訪問も
「母ちゃんは具合が悪いからと先生にお断りしてね」という感じで徹底していました。

そんな母でしたが、人として何が大切かということは背中で教えてくれました。

私の物事の考え方、とらえ方が間違っていて、少しでも人を傷つけたり
悲しませたりするような真似をしたら、こっぴどく叱られました。

田渕 裕哉

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