毎日が小さな修行33.

From : 田渕裕哉(2023/03/31 06:54:55)

2023年3月31日(金)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

仕事が楽しいのであれば、それは「楽しくなる要素」が含まれているから。
受け身ではなく、能動的に自ら仕事をデザインする力を高めていこう!

師匠のいうことをよく聞き、お寺の規律に従い生活していると、
やがて穏やかな気持ちに到達できるのですが「なんで、どうして」と、
あらゆるものにとらわれているもう一人の自分がいると、
前に進めず、後ろに戻れず、という状態に陥ります。

このどちらにも行けない状態を「迷う」といいます。

その苦しみの海の中で本来の生きるべき道を悟るまで、
私たちの人生の苦しみは続きます。

そうした苦しみの中で、歯を食いしばって修行をしていくのです。

修行というのは、三百六十五日、朝起きてから夜寝るまで、
休みなく同じことを繰り返します。

年が巡り、後輩が入門してくると自分の昔を思い出します。

その姿を見て、我の強い自分をあらためて反省します。

しかし、変わろうとしても、なかなか変われない自分がいます。

私たちお坊さんは、人生の先生にならなければならない立場です。

そのためには、捨て切る、忘れ切る、許し切ることが真理に向かっ
進む道であることをよく理解し、それを実践できなければなりません。

修行道場で勉強させていただいて、人生とはこういうものだと悟ったら、また
各地に散らばって、縁のあった人に真理の方向へ進むためのヒントを教えていく。

そういう存在にならなければいけません。

三度三度のご飯に、おやつがあって、雨露をしのげる場所がある。

そういう場所で生活をしていると、ついつい気まま、わがままが出てしまいます。

だから、時折、質素で簡素な修行道場という厳しい環境に
あえて身を置いてみるのです。

自分を見つめ、何不自由のない生活を送っていては
見えないものに気づく期間が必要になります。

たとえば、どんな理不尽で苦しく辛いことがあっても、
決して人を恨んではいけない。それを頭ではわかっていても、
心からその人を許し切ることができるかというと、なかなかうまくいきません。

そこで「なんで、どうして」と思いが巡れば、
どんどん心が闇の方向へ行ってしまいます。

そういうときに、禍を転じて福となす生き方ができるように心を鍛え、
会得した感覚を体で覚えていくのが修行です。

田渕 裕哉

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