一日一生3.

From : 田渕裕哉(2023/04/09 06:50:35)

2023年4月9日(日)
おはようございます。今朝は新潟からです。

永続的な幸せとは「物質的な富」を貧欲に求めることを進んで放棄し、
「非物質的な富」に自分の意識を集中することから生まれる。
すなわち、愛や思いやり、優しさ、知性や貢献心など。

回峰行の師であった故・箱崎文応師が昔、子供のころに聞いたとい
小名浜の大泥棒の話をしてくれたことがある。

その大泥棒、なんと福島県の小名浜から夜な夜な宮城県の仙台まで
歩いて泥棒に行ってたんだって。

泥棒して、また仙台から小名浜に帰る、いったいどうやって歩いてるんだ?」
って聞かれたら「休み休みやってるから疲れないんだ」って説明したという。

どういうふうにうまく歩いたのかっていうと、右足、左足って、
体のいろんな部分を交代で意識しながら歩くんだって。

右が疲れてきたら左足、左が疲れてきたら右、という具合だね。

いよいよ両足がくたびれたら腰、その次は首に意識を集中する。

「今度は右の方、頼むぞ」とその部分に気持ちを集中して歩くんだって。

そうして左の肩で歩いたり、右の肩で歩いたり。

歩きながら肩を振ったりして、そこに精神を集中させる。

その間に別のところがみんな休んでいるっていうわけだ。

そのうち疲れてきたら、今度はバトンタッチして、
別のところに精神を集中して歩いていく。

そういうふうにやってたから、スピードが落ちることなく、
ずっと早足で行けたんだって。

老師は、ぼくが千日回峰行をやる時に、
参考にしたらいいと言ってこの話をしてくれた。

「おれもな、自分が回峰行をやるときに、この話を実行してやったんだけど、
一つだけできないことがあった」という。

「何ができませんでしたか」と聞くと「首を振ったり肩を振ったり
しながら歩くのは、なんぼやってもだめだったなあ」って笑ってた

「お前も歩きながら休む方法を考えてみたらどうや」って。

ぼくもまねしてやったけど、とてもそんな達人の域に行かなかったけどな。

人生を歩くってことにも、その原理を応用すればいいんじゃないのかな。

人生って、こっちが疲れたら全部「しんどい」ってことになってしまいがちじゃない。

考えを辛いことの一点に集中しすぎちゃうから
「こんな苦労はもうしたくない」なんて身を投げちゃうとか。

じたばたしたって、どうにもならないところをどうにかしようとするから、
疲れちゃうんだよ。

しんどいところは休ませておいて、違うところに精神を集中させてみる。

「足は疲れているから、今度は肩、頼むぞ」ってな。

そうして歩けば、案外楽に、結構楽しく生きていけるんじゃないの

田渕 裕哉

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