超葉隠論21.

From : 田渕裕哉(2025/02/27 06:08:09)

2025年2月27日(木)
おはようございます。今朝は博多からお届けしています。

生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。
それほどに差は無いような気がした。

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。

この言葉には葉隠に宿る魂のすべてが降り注いでいる。

それはまた、私の全意見であり全科学である。

また全芸術であり、全行動であり、全過去であり、
また全未来でもあるのだ。

この思想が「葉隠」の初めにあることに、私は表現できぬ
ほどの喜びを感ずる。

これほどの勇気ある言葉が、この世に存在するだろうか。

この言葉のためだけに、私は死ぬことが出来る。

 

つまり、それゆえに生き切ることもまた出来るという
ことに尽きよう。

その実行と解釈の方法を問わない。

がむしゃらに、死ぬまでこの思想にぶち当たるのみである。

これは自己の命の終末を見せてくれる言葉なのだ。

私は自己の終末に向かって突進するだけの人生を送る。

もちろん体当たりを繰り返し、私の人生はそのまま未完となり
中途挫折する所存である。

つまり、自己の人生と前後左右の世界をすべて切り捨てて、
体当たりを人生に喰らわすのだ。

田渕 裕哉

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