人生に悩んだら「日本史」に聞こう14.

From : 田渕裕哉(2025/07/19 06:55:22)

2025年7月19日(土)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

作曲の95パーセントは、過去の遺産を糧にしています。
作曲家自身の「発明」は、せいぜい1~2パーセント程度で、最大5パーセントといったところ。
作曲の大部分は過去の作品の引用です。
坂本龍一

これからの話で、歴史の醍醐味をあなたに味わっていただきたいと思います。

まず、知っていただきたいのは、薩摩藩(鹿児島県)の殿様のふたり、
第11代藩主・島津斉彬と、斉彬の曾祖父・島津重豪です。

このふたりが幕末、明治の流れを大きく変えたのです。

まず、島津斉彬。斉彬は身分制度が厳しい江戸時代にありながら、藩政に
対する意見があれば、遠慮なく言ってくれと藩士たちに伝えていました。

すると、あるひとりの下級武士が、農政についての意見書を提出。

その意見書が斉彬の目に留まります。これが当時27歳の西郷隆盛でした。

西郷の才能を見抜いた斉彬は、来る日も来る日も西郷に、今の日本が置かれて
いる立場や世界情勢、政治、経済のことを語って聞かせたといいます。

斉彬は、どうしたら欧米勢力と肩を並べ得る近代国家を建設できるのか、
その方法を考えていたのです。

実際、斉彬は、薩摩藩を近代国家にワープさせるために、さまざまなことに
着手していきました。

土佐藩の漂流民でアメリカから帰国したジョン万次郎を保護し、彼の語学力と
造船技術を生かし、西洋式帆船を造り、さらに日本初の国産蒸気船を完成させた
のは斉彬!

富国強兵に努め、反射炉・ガラス・ガス灯の製造などの事業をいち早く興した
のも斉彬!

そして、大名身分をもつ者のなかでは、もっとも早く写真に撮影されたのも斉彬!

田渕 裕哉

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