人生に悩んだら「日本史」に聞こう16.

From : 田渕裕哉(2025/07/21 05:48:56)

2025年7月21日(月・祝)
おはようございます。今朝は博多からお届けしています。今日は神戸でセミナーです。

手ほどきはしてやるが、答えは自分で見つけるもんだ。
ハッキリこうと教えられるよりも、自分でつかんだ答えなら、一生忘れない。
福田達也

中津藩というのは、激動の幕末期にもパッとした働きをするわけでもなく、
存在感は薄かった。

しかし、中津藩は「解体新書」を杉田玄白とともに著した前野良沢
出身地であることからもわかる通り、伝統的に学問を重んじる寄付があり、
そこにシゲじいちゃんのDNAが注ぎ込まれて、新しもの好きで自由な
空気が生まれました。

だからこそ、学問を究めていくには最高の場であり、福沢諭吉の才能も
花ひらいたのです。

シゲじいちゃんの十三男・長薄が筑前福岡藩の黒田家を継ぐのですが、
この福岡藩でも、長薄の影響で、洋学がさかんになりました。

そんなこともあり、福岡藩の藩士に、永井青崖という人が出て、江戸で
蘭学塾を開くのですが、この永井青崖が、なんと勝海舟の師匠にあたるのです。青年時代の勝海舟は、昼は島田虎之助の道場で剣術を習い、夜は永井塾で
地理学と兵学を習いました。

勝海舟に洋学をすすめたのは、剣術の師匠である島田虎之助ですが、この人も
福沢諭吉と同じく中津藩士です。

一介の剣客にすぎない島田虎之助が、なぜ洋学の重要性を知っていたのか、
それはシゲじいちゃんの影響から、当時の中津藩には洋学を重んじる気風
があったからです。

西郷隆盛、福沢諭吉、勝海舟。

彼らの才能を伸ばす環境を間接的に生み出したのは、シゲじいちゃんの
存在なのでした。

田渕 裕哉

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