From : 田渕裕哉(2025/07/22 07:00:37)
2025年7月22日(火)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
考えて、考えて考えて・・・するとな、いろんなことがいずれ考え
そうしたら、ようやくそれが自分のものになる。
一条花
パッとしないところで、パッとしない身分で生まれたのが、福沢諭
豊前中津藩(大分県)の下級武士の次男として生まれました。
中津藩というのは10万石の小藩で、あの激動の幕末期にも、さし
とした動きをするわけでもなく、どちらかといえば存在感が薄かっ
言わざるを得ません。
それに対して、薩摩・長州・会津などは、幕末期に鮮やかな存在感
もし諭吉がこれらのどこかに生まれていたら・・・。そう想像したときに、私は気づいたのです。
むしろ、諭吉の人生にとって中津藩こそ最高の場所だったというこ
もし、諭吉が、明治維新を主導した薩摩や長州に生まれていたら、
優秀な人材ですから、きっと政治の道に引っ張られていたことでし
逆に、もし諭吉が藩士の教育に熱心でない藩に生まれていたら、当
がなければ、旅行も留学もできない時代でしたから、大阪の緒方洪
勉強することもなかったでしょうし、その後、咸臨丸に乗ってアメ
西洋文明の本質をつかむという体験もなかったはずです。
ところが、彼が生まれたのは中津藩だった。明日に続く。
田渕 裕哉
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