From : 田渕裕哉(2025/07/23 06:47:24)
2025年7月23日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。
考えるという事と書くという事は二つの事実を指してはいないので
言葉という技術を飛びこして何か考えるなどとは狂気の沙汰である
小林秀雄
諭吉が生まれた中津藩は、政治的には目立たなくても、学問重視の
気風がある中津藩に生まれた。
そのおかげで、新しい時代の日本をつくるのに必要な知識を身に
つけることができたのです。
下級武士の次男というパッとしない身分も、諭吉にとっては絶妙の
環境でした。
藩の重役の息子なら、体制を保つ側にまわらないといけなかった。
でも、下級武士だったから、身分制度の限界を感じることができた
そして、次男だったから、行動の自由もきいた。
だからこそ、福沢諭吉は、民間の立場で、教育と啓蒙活動に集中で
そして教育こそ、福沢諭吉が福沢諭吉たるべき道であったわけです
そう考えると、彼が中津藩の下級武士の次男として生まれたことは
神様の粋なはからいであったと思わざるをえません。
福沢諭吉の人生から思うこと。それは、与えられた環境こそが、実
自分という種を生かすには、最高の土壌なのだということです。
田渕 裕哉
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