人生に悩んだら「日本史」に聞こう20.

From : 田渕裕哉(2025/07/25 05:11:08)

2025年7月25日(金)
おはようございます。今朝は福島からお届けします。

問いがそのまま答えになるほど執拗に問う人もあり、
問う能力がないから答えを持っている人もあるのだ。
小林秀雄

世界のサブロー、彼の実績もすごいのですが、生き方もまた素敵なのです。

例えば1897年、サブローの弟子、志賀潔が、弱冠26歳で赤痢菌を発見し、
世界を驚かせたときのこと。

志賀潔は、自著「或る細菌学者の回想」のなかで、こう記しています。

「私は大学を出たばかりの若僧だったから、北里柴三郎先生の共同研究者と
いうよりも、むしろ研究助手というのが本当であった。しかるに研究が
予期以上の成果をあげて論文を発表するに当たり、先生はただ前書きを
書かれただけで、私一人の名前で書くように言われた。

普通ならば当然連名で発表されるところである。

発見の手柄を若僧の助手一人にゆずって平然としておられた先生を、私は
まことに有り難きものと思うのである。

実は、赤痢菌発見の快挙は北里柴三郎との共同研究であり、むしろ志賀潔は
研究助手であったというのです。

でも、サブローは手柄をすべて平然と、弟子のものにしたのです。

さらに、翌々年、米国のフレキシナー博士が赤痢の調査研究のため来日した際、
サブローは、通訳として野口英世を抜擢。

このご縁で、野口英世は24歳で渡米。野口英世の世界への道を切り開いたのも
サブローでした。

田渕 裕哉

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