人生に悩んだら「日本史」に聞こう34.

From : 田渕裕哉(2025/08/08 06:28:20)

2025年8月8日(金)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

解を急ぐより、問いを深めよ。
石川善樹

歴史を底辺から支えている人たちは、実は、名も知られていなかったりする。

誰かのために、自分ができることを、ただ淡々と、人知れずやり続けた人たち。

明治維新は、下級武士が中心となって歴史を動かしたのですが、理念や情熱
だけでは、到底彼らの活動は続きません。活動資金が必要です。

当時、長崎の丸山では坂本龍馬率いる海援隊(亀山社中)に、京都の祇園
では長州藩に人気が集まっていましたが、それは、彼らが毎晩のように
飲んで、食べて、芸妓を呼んで、湯水のようにお金を使ったからです。

志士たちの生活費に旅費、それに遊興代まで工面し、彼らの活動を陰で
支えていた存在が、長崎や下関の商人たちです。

その代表的存在が、下関の豪商・白石正一郎です。

高杉晋作や伊藤博文など、地元・長州の志士たちはもちろん、西郷隆盛や
坂本龍馬ら、他藩の志士たちの面倒までみてやりました。

彼が援助した志士の数は、400人に及ぶと言われています。

なかでも高杉晋作との縁は深く、晋作が騎兵隊を結成したときに本拠地に
したのが白石邸なら、維新史を大きく回天させた、長州藩俗論派打倒の
クーデター・功山寺挙兵も、彼の尽力があったればこそ。

高杉晋作の偉業の陰には、常に白石正一郎という最大の理解者の姿があった
のです。

晋作が結核を患い28歳の若さで亡くなったときに、葬儀委員長を務めた
のも白石正一郎でした。

田渕 裕哉

あなたの大切な人に、このメッセージを転送してください。
多くの人が幸せになりますようにお祈りしています。

毎朝8時の無料配信を直接ご希望の方は、
お名前とメールアドレスを下記まで
お送りください。 ⇒ ask@dc-group.co.jp
どなたでも無料で登録できます。

また配信解除ご希望の方は、配信解除希望の返信メールをお願いします。
tabuchi@dc-group.co.jp または、ask@dc-group.co.jp まで。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメント