人生に悩んだら「日本史」に聞こう41.

From : 田渕裕哉(2025/08/15 07:57:21)

2025年8月15日(金)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

問いとは、答えが収まる場所だ。
問いがなかったら、答えは行き場を失う。
クレイトン・クリステンセン

大伴家持の歌も、私を夢中にさせました。

「うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 情かなしも 独りし思へば」

春のうららかな陽ざしのなかで、ひばりが空高く舞い上がっていくけれど、
ひとり物思いに耽っている私の心は、ものがなしい・・・。

同じ春の歌でも、志貴皇子の歌とは対照的。普通なら、心がウキウキする
はずの春ののどかな景色が、物思いに耽り孤独感を感じている家持には、
悲しく映っているのです。

こういう「憂い」って、現代人にしかない感覚だと思っていましたが、
そんな繊細さを共有できる人が、1300年近くも前に生きていたなんて、
驚きであり、心から感動しました。

これらの歌は、もちろん歌だけ味わっても十分に趣が深いのですが、彼らの
人生や歴史的な背景を知り、歌と重ね合わせることで、感動がさらに深まります。

万葉集の歌をもっと深い部分で味わいたいというのが、私が歴史好きになった
理由の一つです。

和歌の世界では「花」といえば「桜」を意味しますが、奈良時代までの
日本人にとって「花」といえば「梅」のことでした。

私の好きな「万葉集」には、桜よりも梅の花を歌った歌が多く、桜が約40首
詠まれているのに対し、梅は100首を超えています。

もちろん私も桜が大好きで、毎年お花見にも行きますが、でも、それ以上に
好きなのが梅なのです。

田渕 裕哉

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