人生に悩んだら「日本史」に聞こう64.

From : 田渕裕哉(2025/09/07 07:49:21)

申し訳ございません。昨日と今日のメルマガを間違えて逆に送ってしまいました。
今日のメルマガが金曜日の続きで、昨日のメルマガが今日の続きになります。

おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

人間には不幸か、貧乏か、病気が必要だ。
でないと人間はすぐに思いあがる。
ツルゲーネフ

実のところ、彼らは、このまま家康の東軍に残るべきか、
三成の西軍につくべきか迷っていました。

東軍につくことが、豊臣秀吉の遺児・秀頼に背くことに
なるのではないかという後ろめたさ。

さらには、大坂にいる妻子が、三成率いる西軍に人質として
とられてしまうのではないかという不安が大きかったからです。

軍議が始まると、一豊は、東軍に残ることを表明しました。

しかし、彼の発言は、それだけにとどまらず、なんと自分の
居城である掛川城を、家康に無償で提供すると申し出たのです。「お味方つかまつる上は、居城掛川城を兵糧ごと内府(家康)に
差し上げ、拙者は人数ことごとく引き連れて戦場に臨む所存でござる」と。

この一豊の申し出は、前代未聞のことでした。

直接の家臣であれば、もちろん主人のために必死で戦います。

でも、家康に味方する諸将の気持ちは複雑でした。

というのは、家康の諸将の「盟主」であっても、主人ではなかったからです。

彼らは、豊臣政権を運営する五大老の筆頭で、人望も厚い家康を、
盟主として仰いだだけで、家康の家臣ではないのです。

続きは明日。

田渕 裕哉

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