人生に悩んだら「日本史」に聞こう67.

From : 田渕裕哉(2025/09/10 05:19:51)

2025年9月10日(水)
おはようございます。今朝は博多からお届けしています。
今日は熊本でセミナーです。

尊厳を保つためには、金は必ずしも必要ではない。
ガンジー

船長のウィリアム・H・ホイットフィールドは、万次郎をまるで我が子のように
かわいがり、鎖国で日本への帰国を許されなかった万次郎をアメリカに連れ帰って、
教育を受けさせることにしました。

ある日、自分の所属する教会に万次郎を連れて行くと、その教会は「白人ではない」
ことを理由に万次郎を受け入れてくれません。

すると船長は、その教会と絶縁し、万次郎を受け入れてくれる教会に宗旨替えを
したのです。

アメリカ人が、異国の少年のためにわざわざ宗旨替えをする。

船長の万次郎への思いが、なみなみならぬものであったことがわかります。

漂流から10年の歳月を経て、万次郎は日本に帰国が許されることになります。

1852年、万次郎、24歳のときに琉球を経て薩摩本土(鹿児島県)に送られました。

薩摩藩主・島津斉彬が彼の英語・造船知識に注目します。

斉彬は、優秀な家臣を選抜し、万次郎から航海術・船舶知識を吸収させ、数年後に
薩摩藩は日本初の国産蒸気船の製造に成功するのです。

そして、万次郎はついに生まれ故郷の土佐の母親と感動の再会を果たします。

続きは明日。

田渕 裕哉

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