人生に悩んだら「日本史」に聞こう72.

From : 田渕裕哉(2025/09/15 07:01:04)

2025年9月15日(月・祝)
おはようございます。今朝は岩手県の北上からお届けしています。
今日は八戸でセミナーです。

二十代の頃より10倍金持ちになったという六十代の人間を見つけることは簡単だ。
だが、そのうちのだれもが10倍幸せになったとは言わないはずだ
バーナード・ショー

ここで、秀吉が天下をとる前に話はさかのぼります。

秀家の父、宇喜多直家は岡山城主で、病気で亡くなる際に、
毛利攻めの拠点である岡山城に滞在していた豊臣秀吉を
枕元に呼び、涙ながらに幼い秀家を託しました。

このとき、秀家10歳ながら、父と秀吉のやりとりを
目の当たりにし、感激して涙したといいますから、
素直な感性の持ち主だったのでしょう。

秀家は品のある秀麗な顔立ちをしていました。

しかも武芸、学問、和歌や舞い、どれをとっても秀でていました。

当時の秀吉の口ぐせは「八郎(秀家の幼名)ほどかわいい者はいない」
でした。

秀家の名前も、元服の際に「秀吉」の「秀」の字をもらっています

こうして秀吉は、秀家に帝王学を授け、立派な大名として育て、
自らがもっとも愛する豪姫と結婚させたのです。

秀家と豪姫は、政略結婚ではありましたが、互いに深く愛し合いました。

あの時代にあって、秀家が側室を置かずに豪姫だけを愛し続けた
というのは、きわめて稀なことです。

田渕 裕哉

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