From : 田渕裕哉(2025/09/16 04:22:59)
2025年9月16日(火)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
今日は高松に行きます!
人間が自分で意味を与えないかぎり、人生には意味がない。
エーリッヒ・フロム
秀家は、秀吉の寵愛のもと、20代の若さで、豊臣政権の中枢であ
五大老のひとりに選ばれ、押しも押されもしない大大名に成長しま
しかし・・・・。秀家26歳のとき、10歳の頃からわが子同然に
かわいがってくれた秀吉が、病で亡くなります。
秀吉は、死のまぎわ、晩年にやっと生まれた実子・秀頼のことを
「返す返すも頼みまいらせ候」と、5人の大老たちに何度も頼みま
このときのことを、秀家は、かつて自分の父が亡くなったときの記
と重ね合わせていたのではないでしょうか。
「あのとき、父から私を託された秀吉公は、私を立派に育ててくだ
今度は、私が秀頼さまをお守りする番だ」と。秀吉の死から2年、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こります。
戦いに参加した戦国大名たちの立場や動機は微妙で、石田三成は、
戦いの前から味方の裏切りを気にしなければなりませんでした。
そんななかにあって、宇喜多秀家だけは「今こそ秀吉公へのご恩返
秀頼さまをお守りする」という立場を純粋に貫きます。
このとき、豪姫が、関ヶ原の戦いに出陣する秀家の身を案じ、奈良
長谷寺への祈願をお願いしたときの手紙が残っています。
手紙には「お祈りください」という意味の言葉が、何度も繰り返さ
彼女の一途な愛情が伝わってきます。
続きは明日。
田渕 裕哉
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