人生に悩んだら「日本史」に聞こう74.

From : 田渕裕哉(2025/09/17 06:22:34)

2025年9月17日(水)
おはようございます。今朝は愛媛県の松山からお届けしています。

どうにも乗り越えられない障害にぶつかった時は、頑固さほど役に立たないものはない。
ボーヴォワール

その手紙の内容は「中納言様(秀家の官位は中納言でした)がどう
ご無事でありますように、そして戦いに勝ち、武成をあげられますように」
というものです。

そのあとが、豪姫のいじらしさが出ていて、とてもかわいいのです

「世の中には、中納言の官位をお持ちの方はたくさんいらっしゃいますが、
私のお願いしている中納言様は、秀家様と申します。秀家様は、さる年の29歳です」

豪姫の気持ちを代弁すると「世の中に中納言様はたくさんいるけど、私に
とって中納言様は秀家さまただ一人」ということになるでしょうか

宇喜多秀家は、西軍の主力として激しい戦いを繰り広げましたが、残念ながら、
西軍は裏切りが続出し敗戦。秀家は、戦場から落ち延びていきました。

そして、戦後処理で秀家に科されたのは、八丈島への流罪でした。

宇喜多家は取り潰され、妻の豪姫は、実家の加賀前田家に身を寄せます。

八丈島と金沢、その距離およそ500キロです。

現代とは交通事情が違う江戸時代初期、この距離は、いまの私たちが抱く、地球の
裏側のイメージよりも、遠かったはずです。

秀家は、息子ふたりと、身の回りの世話をするほんの数名の家臣たちとともに
八丈島へ流されました。

このとき、妻の豪姫は自身も八丈島に移ることを切望しますが、許されずに
離れ離れになってしまいます。

田渕 裕哉

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多くの人が幸せになりますようにお祈りしています。

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