From : 田渕裕哉(2025/09/19 04:52:30)
2025年9月19日(金)
おはようございます。今朝は恵みの雨の千葉からです。
おだやかな心は問題を解決します。
怒りにふるえ、悲しみに打ちひしがれ、嫉妬に狂った心は問題をま
問題の解決は心のおだやかな時にしなさい。
ジョセフ・マーフィー
秀家とともに島流しにされた息子たちが「母上、母上、・・・」
と涙を流しながら、来る日も来る日も額のあたりを撫でていたから
薄くなったのだそうです。
母子ともに再会を切望していましたが、その願いは残念ながら叶う
ことはありませんでした。
ただ、家族の無事を祈る豪姫の祈りは届きました。
彼女が生涯を賭けて愛した夫・秀家は、関ヶ原に参戦したどの武将
たちよりも長生きしたのです。
秀家は、八丈島で50年近く生きながらえ、83歳で亡くなりまし
From : 田渕裕哉(2025/09/18 06:35:12)
2025年9月18日(木)
おはようございます。今日は三男の34歳の誕生日です。おめでと
ひとの数だけ人生はある。自分の力ではどうしようもできないこと
自分がおこなう選択の積み重ねによって、自分の人生がつくられて
ひとの数だけ人生はありますが、ひとりで2つの人生を歩むことは
「自分の人生はひとつ」です。
武者小路実篤
さて、八丈島の秀家。
貴族のように優雅な秀家が、絶海の孤島・八丈島で暮らしていくの
苦労の連続だったはず。
慣れない畑仕事や漁師のマネ、生きていくためには、なりふりかま
何でもしたと思います。
事実、八丈島では、代官に招待された秀家が、食膳の握り飯をひと
食べ、ふたつは持ち帰ってふたりの息子に与えたという話が伝わっ
貧窮にあえぐ秀家と息子たちを助けたのが、豪姫でした。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/09/17 06:22:34)
2025年9月17日(水)
おはようございます。今朝は愛媛県の松山からお届けしています。
どうにも乗り越えられない障害にぶつかった時は、頑固さほど役に
ボーヴォワール
その手紙の内容は「中納言様(秀家の官位は中納言でした)がどう
ご無事でありますように、そして戦いに勝ち、武成をあげられます
というものです。
そのあとが、豪姫のいじらしさが出ていて、とてもかわいいのです
「世の中には、中納言の官位をお持ちの方はたくさんいらっしゃい
私のお願いしている中納言様は、秀家様と申します。秀家様は、さ
豪姫の気持ちを代弁すると「世の中に中納言様はたくさんいるけど
とって中納言様は秀家さまただ一人」ということになるでしょうか
宇喜多秀家は、西軍の主力として激しい戦いを繰り広げましたが、
西軍は裏切りが続出し敗戦。秀家は、戦場から落ち延びていきまし
From : 田渕裕哉(2025/09/16 04:22:59)
2025年9月16日(火)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
今日は高松に行きます!
人間が自分で意味を与えないかぎり、人生には意味がない。
エーリッヒ・フロム
秀家は、秀吉の寵愛のもと、20代の若さで、豊臣政権の中枢であ
五大老のひとりに選ばれ、押しも押されもしない大大名に成長しま
しかし・・・・。秀家26歳のとき、10歳の頃からわが子同然に
かわいがってくれた秀吉が、病で亡くなります。
秀吉は、死のまぎわ、晩年にやっと生まれた実子・秀頼のことを
「返す返すも頼みまいらせ候」と、5人の大老たちに何度も頼みま
このときのことを、秀家は、かつて自分の父が亡くなったときの記
と重ね合わせていたのではないでしょうか。
「あのとき、父から私を託された秀吉公は、私を立派に育ててくだ
今度は、私が秀頼さまをお守りする番だ」と。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/09/15 07:01:04)
2025年9月15日(月・祝)
おはようございます。今朝は岩手県の北上からお届けしています。
今日は八戸でセミナーです。
二十代の頃より10倍金持ちになったという六十代の人間を見つけ
だが、そのうちのだれもが10倍幸せになったとは言わないはずだ
バーナード・ショー
ここで、秀吉が天下をとる前に話はさかのぼります。
秀家の父、宇喜多直家は岡山城主で、病気で亡くなる際に、
毛利攻めの拠点である岡山城に滞在していた豊臣秀吉を
枕元に呼び、涙ながらに幼い秀家を託しました。
このとき、秀家10歳ながら、父と秀吉のやりとりを
目の当たりにし、感激して涙したといいますから、
素直な感性の持ち主だったのでしょう。
秀家は品のある秀麗な顔立ちをしていました。
しかも武芸、学問、和歌や舞い、どれをとっても秀でていました。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/09/14 06:15:33)
2025年9月14日(日)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあ
それがもっとも素晴らしい偉業である。
エマーソン
日本の歴史のなかで、ナンバーワンのベストカップルって誰だろう
私は、宇喜多秀家&豪姫を選びます。
豪姫は、豊臣秀吉が大切に育てた養女です。
豊臣秀吉は、子どもがなく、親友の前田利家から、生後間もない彼
四女を養女に迎えます。
そして秀吉とその妻・ねねとふたりで大切に豪姫を養います。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/09/13 06:27:49)
2025年9月13日(土)
おはようございます。今朝は恵みの雨の千葉からです。
どうやって生きるかなんてことは、誰も他人に教えられないよ。
それは、自分自身で見つけるものだ。
ボブ・マーリー
福沢諭吉といえば、当時の日本人の10人に1人が読んだという
大ベストセラー「学問のすすめ」が有名です。
その冒頭の一節は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず
と伝えり」
「と伝えり」は「と、言われている」という意味で、諭吉は「学問
を著すにあたって、アメリカ独立宣言を参考にしたと伝えられてい
英文を訳すわけですから、当然、万次郎のすすめで購入したウェブ
辞典が大活躍したことでしょう。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/09/12 07:53:52)
2025年9月12日(金)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
悲観主義者は風にうらみを言う。
楽観主義者は風が変わるのを待つ。
現実主義者は、帆を動かす。
ウィリアム・アーサー・ウォード
龍馬の船中八策は、明治天皇が示した「五箇条の御誓文」のもとに
なったと言われていますが、日本から出たことがない龍馬が、
このような自由で民主的な国家の青写真を持っていたのは、
奇跡と言うほかありません。
これも河田小龍を経由して、万次郎から龍馬に受け継がれた遺産
と言っていいでしょう。
その後、万次郎は、土佐の藩校の教授に就任。
そのときの教え子のひとりが、三菱の創設者・岩崎弥太郎です。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/09/11 06:39:41)
2025年9月11日(木)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
人生は道路のようなものだ。
一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。
フランシス・ベーコン
土佐では、絵師・河田小龍が取り調べという名目のもと、万次郎と
共にして、万次郎から英語を教わりながら。、少しずつ西洋事情を
していきました。
後に、この河田小龍のもとに、ひとりの若い男が出入りするように
その男は、小龍を経由して万次郎から伝え聞いたアメリカの話に感
その若き男の名前を坂本龍馬といいます。
商人の血をひく龍馬は、合理的なアメリカの考え方に感動します。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/09/10 05:19:51)
2025年9月10日(水)
おはようございます。今朝は博多からお届けしています。
今日は熊本でセミナーです。
尊厳を保つためには、金は必ずしも必要ではない。
ガンジー
船長のウィリアム・H・ホイットフィールドは、万次郎をまるで我
かわいがり、鎖国で日本への帰国を許されなかった万次郎をアメリ
教育を受けさせることにしました。
ある日、自分の所属する教会に万次郎を連れて行くと、その教会は
ことを理由に万次郎を受け入れてくれません。
すると船長は、その教会と絶縁し、万次郎を受け入れてくれる教会
したのです。
アメリカ人が、異国の少年のためにわざわざ宗旨替えをする。
船長の万次郎への思いが、なみなみならぬものであったことがわか
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