超葉隠論56.

From : 田渕裕哉(2025/04/03 07:52:31)

2025年4月3日(木)
おはようございます。今朝も小雨の千葉からです。

指導者の心得33.
指導者は私の心を去ってものを考えることが大事である。

物質とは、流体エネルギーから独立して存在するものを言う。

物質にはそれとしての価値が、もちろんあるのだが、いまここで
問題にしている負のエネルギーに関しては、物質はそれを排除
してしまっているということである。

だから、物資である我々の肉体をもう一度、負のエネルギーで
埋め尽くさなければならない。

物資としての生命と、崇高を目指す負のエネルギーとの合体こそが
武士道の本質を創り上げていると思えば分かり易い。

正のエネルギーの価値としての肉体に、宇宙的実在としての負の
エネルギーを浸潤させる。 >>続きはこちらから

超葉隠論55.

From : 田渕裕哉(2025/04/02 07:08:29)

2025年4月2日(水)
おはようございます。今朝は雨の千葉からです。

指導者の心得32.
指導者は部下の自主性を引き出し生かすことが大切である。

武士道もまた、負のエネルギーによって貫徹される。

魂が、己の糧として負のエネルギーを喰らうのである。

愛の貫徹もまた同じだ。

再三言って来たように、信頼もしかり、正義もまたしかりだ。

日常を超越するとは、この負のエネルギーが日常生活の
あらゆるところに浸潤することを言っている。 >>続きはこちらから

超葉隠論54.

From : 田渕裕哉(2025/04/01 07:58:47)

2025年4月1日(火)
おはようございます。今朝も曇りの千葉からです。

指導者の心得31.
指導者は最後の最後まで志を失ってはならない。

恋に死することが、忍ぶ恋の武士道的な価値観を創っている。

恋そのものが、何ものかに対する強い想いだから、そうなるのだ。

恋に死する者は、また忠義に死する者となる。

そして忠義に死する者は、また家族愛に死する者となるのである。

忠義は、恋である。家族への愛もまた、恋なのだ。 >>続きはこちらから

超葉隠論53.

From : 田渕裕哉(2025/03/31 07:55:32)

2025年3月31日(月)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

指導者の心得30.
指導者は世間のこわさを知り身を正していかなければならない。

忍ぶ恋とは、忍べば忍ぶほどその価値は高まって来るのだ。

だから忍ぶ恋とは、本当は辛いものでもなく、また耐える
ものでもない。

それは誇りと成り得るものである。

辛さや苦痛は、忍ぶことの理解のために、地上的に理解できる
表現を取っているに過ぎないのだ。

忍ぶ恋は、忍ばせていただくのである。

自己の修行という手前勝手な考えによって、そうさせていただく。

そう捉えるのが、最も正しいエネルギーの見方ということになろう>>続きはこちらから

超葉隠論52.

From : 田渕裕哉(2025/03/30 06:56:32)

2025年3月30日(日)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

指導者の心得29.
指導者は体は遊んでいても心は働かせていることが大事である。

この世のあらゆることは、与志とコルネリアには関係ない。

それが関係する者は、すべての日常性と地上の物質的価値に
?み込まれてしまうだろう。

恋する者は、それ自体の力として、理想に向かって生きているのだ

コルネリアはマカオの丘の上で与志の意志を乗せた風を感じていた

忍ぶ恋に生きて来た自分と上田与志が、時代を超越して対面している。

この純心この純愛こそが、葉隠の思想を自己の人生に引き寄せてくる。 >>続きはこちらから

超葉隠論51.

From : 田渕裕哉(2025/03/29 07:50:59)

2025年3月29日(土)
おはようございます。今朝も小雨の千葉からです。

指導者の心得28.
指導者はつねに理想を描き大きな志を持たなくてはならない。

常朝の涙が、私にこの永久恋愛論を書かしめているのだ。

「かの来たりつつあるもの」を、仰ぎ見る者だけに聞こえる
響きである。

私には常朝の涙と、その激しい現世の恋心が痛いほど伝わって来る

長崎奉行所の武士であるポルトガル語通辞の上田与志と混血の
美女コルネリアとの純愛の物語がある。

幕府の鎖国令によって、二人は引き裂かれてしまった。 >>続きはこちらから

超葉隠論50.

From : 田渕裕哉(2025/03/28 07:52:12)

2025年3月28日(金)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。

指導者の心得27.
指導者はみずからかえりみてやましいところなきを期さなくてはならない。

旧約聖書の「雅歌」は、古代ユダヤ人が神へのあくなき憧れと
恋心を歌い上げた詩と言われている。

その雅歌において、人間生命の最大の喜びが歌われているのだ。

それは愛する者と巡り会う喜び、恋する者が、近づいて来る魂
の震動を表している。

わが愛する者の声が聞こえる 見よ、それは山を跳び、丘を
躍り越えて来る。

愛する者、恋する者の気配に震える魂を、これ以上に美しく
語った言葉はない。 >>続きはこちらから

超葉隠論49.

From : 田渕裕哉(2025/03/27 04:40:18)

2025年3月27日(木)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。今日は福岡です。

指導者の心得26.
指導者はあらゆる面で私心なく公平さを期さなくてはならない。

恋死なん、後の煙にそれと知れ、ついにもらさぬ中の思いを

この絶唱ほど忍ぶ恋の苦悩を表すものもまた、ない。

これが真の「不滅性への渇望」と言えるものではないか。

スペインの哲学者ミゲール・ウナムーノの人間実存の中心課題
ともなっている思想だ。

自己の存在の不滅を願う祈りが、この常朝の歌の心を支えている。

自己の恋が、永遠の恋そのものと成り果てている。 >>続きはこちらから

超葉隠論48.

From : 田渕裕哉(2025/03/26 07:48:34)

2025年3月26日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

指導者の心得25.
指導者は是は是とし非を非とする見識を持たねばならない。

私は「永久恋愛論」の思想の中に、葉隠のもつ最も美しいものを見ている。

武士道の中に、真の人類ロマンティシズムをもたらす考え方こそが
忍ぶ恋の思想を創り上げているのだろう。

恋は忍んで忍んで忍び抜いて、その果てに死ぬのだと葉隠は言う。

私が葉隠に惚れた理由は、ここに存する。私は本物と出会ったのだ

忍ぶ恋によって、現世を突き抜け、過去と未来の魂と繋がることが出来る。

未来の魂を、この世に現成させることも出来るのだ。 >>続きはこちらから

超葉隠論47.

From : 田渕裕哉(2025/03/25 07:55:56)

2025年3月25日(火)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

指導者の心得24.
指導者は各人の力の範囲で仕事を考えるべきである。

「永久恋愛」は、我々人類の滅亡した後、その祭壇に捧げられるであろう
追悼の涙なのだ。

我々の存在の最も美しかった思い出として、宇宙の暗黒流体の中に
しっかりと刻まれるに違いない。

ドイツの詩人ノヴァーリスが「恋愛は、死において最も甘美なものとなる」
と歌ったのはこの意味である。

死とは、宇宙の実存なのだ。

だから死ぬほどの純愛の力ほど、宇宙の本体と重なるものはない。 >>続きはこちらから