思考は現実化する56.

From : 田渕裕哉(2021/03/08 07:17:46)

2021年3月8日(月)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。

生涯をかけて修行を積み高い精神的な境地に達した人たちの教えは
いつも謙虚であれということ。
自分の内面に目を向けると宇宙の秩序に喜びと幸せを感じるという
真の幸せとは何を得たかではない。自分の内面を見つめ続けた先にこそある。

悲しみが与えられさえすれば、利己的な態度や傲慢、虚栄や自己愛が取り除かれるが、
これも自然の企図した心身の鍛錬であるように思われてならない。

悲しみも失敗と同じように、恩恵になるか災いになるかは自分の反応次第なのである。

腹を立てずに、自分の鍛錬に欠かせないものとして受け入れれば、
悲しみは大きな恩恵を与えてくれるだろう。

腹を立てるばかりで、何も得られないといえば、災いでしかない。

どちらを選ぶのもその人次第である。

報われぬ愛がもたらす挫折感は、人生の転機となることが少なくない。

悲しみが大きな成功への導き手となるか、あるいは障害となって
完全に破滅させるかというような転機である。

どちらになるかは、その人の対応次第だ。

ここでもまた、選択は完全に本人の手にゆだねられているのだ。

自分の心を自由に支配し、自分の選んだ目標に進むという
その人の特権は、神でさえ奪えないものである。

どんな力であろうが、本人の承諾なしに、
この特権を無効にすることはできないのである。

悲しみとは、謙虚な人にも高慢な人にも、等しくざんげの時間だからである。

人間に最高の知性を与えた創造の神が、一緒に悲しむという
感情を与えて知性が高度になるように計らったのは、さすがである

人間が優れた脳力を適切に使えるように考えたのである。

そして自分こそが自分の支配者でると気づく。

悲しみを受け入れる脳力の大きい人は
「自分自身を完全に自己コントロールできる人間」
になる大きな可能性を秘めた人でもある。

ただしそのためには、悲しみを自己憐憫に向けるのではなく、
訓練の源として歓迎することが必要だ。

田渕 裕哉

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