毎日が小さな修行36.

From : 田渕裕哉(2023/04/03 06:48:47)

2023年4月3日(月)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。1週間の始まりですね!

長く立ち続けている人ほど、適度に回復をとっている。
大事なのは、我慢強さではなく、回復上手になること。

たとえば、自分が平らな丘にいるとします。

その崖っぷちまで行くと、崖の少し下に花が咲いていました。

その花は、いくら高性能の望遠鏡を使っても崖にさえぎられて見ることができません。

実際に、その崖の縁まで自分の足で歩いて行かなければ見ることができないのです。

このように、自ら体験しなければわからない、見えてこない世界があります。

行の世界でたとえると、私が山道を歩いて感じた世界観と、
別のもう一人が同じ道を歩いて感じる世界観は全く違います。

物事の受け取り方、とらえ方が違うのです。

これは非常に面白いことです。

一生懸命歩いても、手を抜いて歩いても、一日は一日。

しかし、自分自身がせっかく尊い行を体験させていただいているのに、
行じるときの気持ちが整っていないと正しい道理を掴めず、
せっかくいただいたチャンスをものにできずもったいない結果になってしまいます。

修行は、首までしっかり浸り切って自分自身を見つめ直して成長につなげるものです。

一つの物事をどのように生かすかは、その人の世界観の問題です。

ですから、同じ修行を十人がしても、成長の段階は全く変わってきます。

一般社会で仕事や学問に取り組む場合も同じでしょう。

結果は取り組む人の心のあり方によって、結果は全く違うものになります。

 

私は二十代のときに千日回峰行という行をさせていただきました。

私より前に一人の先輩がこの行をやっていますが、
その方の世界観と私の世界観は全く違うはずです。

また、後輩がこれから千日回峰行を行じたとしても、
世界観は全く違うものになるでしょう。

山は不動不変ですが、そこを歩く行者によって、行は全く違うものになります。

行者は生死の極限の世界を体験する機会を得ます。

何のためにそういう体験をするのか、
その真の意味は二十代の私には正直わかりませんでした。

しかし、ただ前を向いて進むのみというこの世界の中で、
やがて見えてくるものがあります。

わからないなりに自分自身を極限の際において挑戦し続けた結果が
今の心情につながってきました。

田渕 裕哉

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