From : 田渕裕哉(2023/04/04 06:36:14)
2023年4月4日(火)
おはようございます。今日も素晴らしい天気の千葉からです。
あなたがどう考えようと、三日月はもともと満月。
大切なのは、満月だと「思おう」とするのではなく、
「あ、やっぱり満月だった」という気づきの量を増やすこと。
行を終えてから十数年が経ちました。
日々の生活をしている中で、私も一つ、
さらに深い世界の中で見えてくるものがありました。
今年の四月一日に、叔父が癌宣告を受けました。
余命十二ヶ月と伝えられました。
抗がん剤治療をして、胃を切除した結果の余命宣告でした。
叔父は自分の予後をある程度覚悟しており、
うろたえることもなく「そうですか」と受け入れました。
本当ならば何もしないで静かに臨終を迎えたいといっていましたが
叔父はすでに通院していたこともあり、現代の医療に従って治療す
ことになりました。
四月九日の入院と同時に原因不明の高熱が出ました。
日に日に弱っていく叔父を見て、自分が四無行
(九日間、断食、断水、不眠を続ける)をさせていただいた
ときの健康状態、精神状態に近いことに気づき、
叔父の立場になって心から寄り添うことができました。
私は叔父の余命が少ないことも知っていました。
しかし、叔父はもう一年は生きるという強い意志を持っていました
その気持ちだけは萎えさせたくないなと思い、毅然として、
かつ淡々と叔父に寄り添っていました。
叔父は日に日に体力を消耗して死に近づいていました。
そのときに、行の意味がわかったような気がしました。
自分自身、行を通じて叔父と同じような状態を経験していたために
的確なアドバイスができたのです。
同じ体験をしていたからこそ「今、こういう感じだよね」
と声をかけることができました。
やがて叔父も自分の命が残り少ないと気づき、
初めて弱気な言葉を口にしました。
そのとき私は「叔父さん、しょうがないよ。これも運命だ」と、
はっきりいいました。
「諦めるとは明らかに見極めるということだよ。
人生は岐路に立たされたとき、右か左しかない。
右しかないときは右の道を行けばいいんだよ」
私がそう諭すと、叔父は「なるほど、よくわかった。
明らかに見極めるということか」と、天井を見てため息をつきまし
自分の運命を受け入れた叔父は、そこから病と闘い、
最後の一息まで前向きに生き切りました。
その姿は私たち遺族にとっての宝物です。
叔父は日に日に弱っていくにもかかわらず「どうもすみません」
「ありがとうございます」を繰り返していました。
不平不満は一つもいいませんでした。
その姿も遺族がいただいた宝物です。
田渕 裕哉
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