From : 田渕裕哉(2025/05/05 05:22:36)
2025年5月5日(月・祝)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。
指導者の心得65.
指導者は人間みな兄弟の思いを持たなくてはならない。
サタンの存在が、人間の魂から勇気を生み出している。
だからサタンに負ければ、我々の魂から勇気が消え失せる
のだろう。
宇宙空間から天降るサタンは「失楽園」の圧巻である。
しかし、それこそが我々人類の存在理由なのだろう。
サタンと戦える「生き物」は人間しかいない。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/05/04 05:48:08)
2025年5月4日(日)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得64.
指導者はあらゆる面にダム経営を心がけることが大切である。
サタンは確かに魅力がある。美しくまた健やかだ。
しかし、人間はそれと戦うために神によって創られたのだ。
自然や動物から限り無く離れて、魂の垂直的価値を求め
続けることがそれに当たる。それが人間だ。
魂の戦いとは、悪(サタン)との戦いなのだ。
人間にとっては、動物も自然も、すべてが悪の一員となっていた。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/05/03 07:32:45)
2025年5月3日(土)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
指導者の心得63.
指導者は何が正しいかを考えつつ信念を養い高めなくてはならない
宇宙と生命、そして文明と人類を支えているものが何なのか。
私の葉隠解読はこのときから飛躍していった。
ミルトンによって私は葉隠を理解し、そして宇宙に遍満する
「負のエネルギー」の実体を掴み取ったと思っている。
それにしてもサタンは魅力的だった。なおかつ、可愛い。
だからこそ、それと戦う人類もまた魅力を備えなければ
ならないのだ。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/05/02 07:06:42)
2025年5月2日(金)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得62.
指導者には大局に立ち小異を捨て大同につく心がまえが大切である
十七世紀の英国における清教徒革命が生み出した崇高な文学がある
ジョン・ミルトンの「失楽園」がそれだ。
私はこの長編詩によって、宇宙論と人間論、そして文明論の多くを
それに付け加え、人類誕生の壮大なロマンティシズムまで与えても
ことができた。
ミルトンには何と礼を言ったらいいか、言葉がない。
人類誕生のドラマを知るということは、人類の終末も知るというこ
From : 田渕裕哉(2025/05/01 07:57:45)
2025年5月1日(木)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得61.
指導者は指導者としての主座を保っていなくてはならない。
革命は人間の魂にも降り注ぐ、宇宙の祈りでもある。
人間はこの地上に、この革命を為すためにやって来たのだ。
だから革命が人間の本来の姿と言っていい。
我々が勝手に築いた日常性は、この魂の革命を行なうための
基盤作りに過ぎなかった。
その基盤が、今まで勝手に一人歩きを始めてしまった。
この見方が人間論としては、最も正しい見方となるだろう。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/30 05:54:59)
2025年4月30日(水)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
指導者の心得60.
指導者は自分はできるだけ中央にいて部下を使うことが大切である
魂を失った人間は、人間ではない。
自然にも戻れず、動物になり切ることも出来ないだろう。
それでは何になるのか。私はそれを「家畜」と呼んでいる。
それは動物ですらない。何ものかに支配された「生き物」であるに
我々は今、新しい主人を求めて家畜化の一途を辿っている。
そこから、どれほどの人が抜けることが出来るだろうか。
少なくとも私は、人間の未来のために。出来得る限りの体当たりを
つもりである。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/29 06:57:10)
2025年4月29日(火・祝)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得59.
指導者は基本を押さえ、あとは自由にまかせるようにしたい。
本気を突き抜けて、この世に死ぬ気の体当たりを敢行しなければな
水平の世においては、魂の垂直は気狂いなのだ。
しかし垂直の魂から見れば、水平はすべて物質であり、非人間的な
葉隠がもつ非日常的な革命精神が分かると、葉隠が人類の未来まで
いることもまた分かって来るだろう。
革命の先に、人間の未来があるのだ。水平は動物であり、ただの自
それは混沌の流れであり、人間に刻まれる時間ではない。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/28 06:57:33)
2025年4月28日(月)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得58.
指導者はまず大義名分を明らかにしなくてはならない。
愛と優しさを説いたあのキリストでさえ「地上に平和をもたらすた
私が来たと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのであ
と、その「マタイ伝」で語っている。
これは人間の魂のために、垂直的思考がいかに大切なものであるか
説いているのだ。
垂直が無くなれば、人間存在理由はなくなる。
人間とは、この世に垂直を打ち立てるために存在しているのだ。
そして大地に向かっては、垂直をどこまでも穿つために存在してい
From : 田渕裕哉(2025/04/27 05:52:25)
2025年4月27日(日)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得57.
指導者は身をもって範を示す気概を持たなくてはならない。
私はその悲哀に生命の理想と魂の理想、そして文明の理想を見出し
この理想に死んだ者たちの、生命的そして人間的な幸福を私は語っ
これを間違いだと思う者は物質的で水平の価値に冒されている。
垂直を見上げる者にとって、深淵を見下ろすことは、同じ垂直なの
この武士道を残酷と取るか、崇高と取るかによって、魂の在り方全
残酷と取る者は、限り無く動物に近づく人生を送ることになるだろ
From : 田渕裕哉(2025/04/26 06:56:50)
2025年4月26日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得56.
指導者は即断即行を心がけなくてはならない。
第七戒
本気にては大業はならず、気違ひになりて死に狂ひするまでなり。
第七戒はまさに、この超越的下降がもつ武士道の美を理解したとき
自己の体内深くに落ちるのである。
この武士道がもつ根源的悲哀を、最もよく表わす文字に田宮虎彦の
「落城」と「霧の中」そして森?外の「阿部一族」がある。
これらの作品において、武士道のもつ悲哀はその頂点を極めている
武士のもつ「意地」が、地上的な不幸そのものを創り出しているの
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