人生に悩んだら「日本史」に聞こう41.

From : 田渕裕哉(2025/08/15 07:57:21)

2025年8月15日(金)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

問いとは、答えが収まる場所だ。
問いがなかったら、答えは行き場を失う。
クレイトン・クリステンセン

大伴家持の歌も、私を夢中にさせました。

「うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 情かなしも 独りし思へば」

春のうららかな陽ざしのなかで、ひばりが空高く舞い上がっていくけれど、
ひとり物思いに耽っている私の心は、ものがなしい・・・。

同じ春の歌でも、志貴皇子の歌とは対照的。普通なら、心がウキウキする
はずの春ののどかな景色が、物思いに耽り孤独感を感じている家持には、
悲しく映っているのです。

こういう「憂い」って、現代人にしかない感覚だと思っていましたが、
そんな繊細さを共有できる人が、1300年近くも前に生きていたなんて、
驚きであり、心から感動しました。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう40.

From : 田渕裕哉(2025/08/14 07:02:18)

2025年8月14日(木)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

何かを主張をするのに 権威を持ち出す人は全て、
知性を使っているのではなく、ただ記憶力を使っているだけである
レオナルド・ダ・ヴィンチ

「石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春になりにけるかも」

私が、歴史に対して、より深く興味を持つようになったきっかけの
一つは「万葉集」です。

中学の古文の授業で、志貴皇子の、この歌を知ったとき、その躍動
に胸がときめいたのです。この歌の意味はいたってシンプル。

「岩からほとばしる小さな滝。その上の方に、緑鮮やかな若い蕨が芽を
出している。ああ、春になったのだなあ」

一首のなかにラ行音が7回も出てくるせいか、言葉そのものが躍動して
いるように感じました。

皇子という尊い立場の方が、こんなに素直に喜びを表しているなんて。

この歌を一度聞いたら忘れられなくなりました。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう39.

From : 田渕裕哉(2025/08/13 07:58:29)

2025年8月13日(水)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

思考とは、行動の予行演習に他ならない。
フロイト

日本人にとって、古来、労働とは、神事であり、感謝と喜びを表すものでした。

もう一歩踏み込んで考えてみると、日本人にとって、生活そのものが神事だった
のではないかと思うのです。

古くから、日本人は、お正月には歳神さま、お盆には祖先の御霊を家にお迎え
する伝統を大切にしてきました。

生活の場である「家」は、日本人にとって、単なる建造物ではなく、神様を
お迎えする特別な場所でもあったわけです。

だから、日本人は、家では靴をぬぎます。

そして、床に這いつくばって雑巾がけをしていました。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう38.

From : 田渕裕哉(2025/08/12 07:13:08)

2025年8月12日(火)
おはようございます。今朝も曇りの千葉からです。

シンプルであることは、複雑であることよりもむずかしいときがある。
物事をシンプルにするためには、懸命に努力して思考を明瞭にしなければならないからだ。
だが、それだけの価値はある。 なぜなら、ひとたびそこに到達できれば、山をも動かせるからだ。
スティーブ・ジョブズ

日本人の労働観は「古事記」や「日本書紀」を読めばわかりますが
日本では、神様たちが、自ら働いているのです。

しかも、その労働は、神様だけにしかできないような特殊技能や
知的労働ではなく、当時の日本人がやっていたのと同じ仕事でした

例えば、日本の主神である天照大神が機を織ったり、他の神様たち
も田を耕したりしています。

「万葉集」をはじめとした和歌集にも、天皇自らが労働を愛でる歌
が数多く収められています。

「源氏物語」にも、こんなシーンが出てきます。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう37.

From : 田渕裕哉(2025/08/11 07:10:45)

2025年8月11日(月・祝)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

最高の思考は、一人の時に生まれ、最低の思考というのは、混乱の中から生まれる。
トーマス・エジソン

私は日本が嫌いでした。

好きな歴史上の人物はそれこそたくさんいたのですが、10代から20代にかけて、
日本人の「長いものには巻かれろ」的な発想が嫌いだったのです。

和を愛する心も、なぁなぁでやっているようにしか見えなくて、海外にばかり
目が行っていた時期もありました。

ですから、大学を卒業するときに選んだ仕事も、航空会社の客室乗務員。

いままで、旅行や仕事で20ヶ国以上の国々を訪れました。

でも、海外に出て行って、外から日本を眺めたら、いままで欠点だと思って
いたものが、実は日本人の素晴らしさだったのだと気づいたのです>>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう36.

From : 田渕裕哉(2025/08/10 06:47:05)

2025年8月10日(日)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

重要なことは、未来において何が起こるかではない。
いかなる未来を今日の思考と行動に織り込むか、どこまで先を見るか、
それらのことをいかに今日の意思決定に反映させるかである。
ピーター・ドラッカー

ここで想像してみてほしいのです。

400人の志士たちを応援するって、どれほどのことか・・・。

いくら豪商とはいえ、人生を賭けなければできるものではありません。

事実、白石家は、志士たちを援助しすぎて、1千両、現在の紙幣価
で1億円ちかい負債を抱え、破産してしまうのです。

自分のお金が毎日毎日、ドンドン減っていき、やがて底をついていく。

それでも、日本のために人生を賭けられるのか? >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう35.

From : 田渕裕哉(2025/08/09 06:53:54)

2025年8月9日(土)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

言葉は意味の容れ物である。そして意味は言葉によって表現されてこそ思考の材料となる。
その意味において「適切な言語化」は思考行為そのものなのであり
論理的思考を成立せしめるための最も基本的なコアスキルなのである。
波頭亮

彼ら歴史の裏舞台を支えた商人たちは、金銭面の援助だけでなく、
志士たちの恋の手助けも買ってでました。

白石正一郎は、晋作が愛人・おのうと生活するのを、物心両面で
支えました。

病床に伏した晋作のもとに、妻の雅子が一人息子を連れて現れ、
愛人のおのうと鉢合わせしますが、そのときも、正一郎は、
陰になり日なたになり、晋作とふたりの女性の間をとりなして
います。

また、長崎の芸妓たちにモテモテだった坂本龍馬は、妻のお龍さん
を下関に残して長崎に単身赴任していましたが、そのお龍さんに
自邸の一室を提供し、生活のすべての面倒をみたのは、下関の商人
伊藤助太夫でした。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう34.

From : 田渕裕哉(2025/08/08 06:28:20)

2025年8月8日(金)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

解を急ぐより、問いを深めよ。
石川善樹

歴史を底辺から支えている人たちは、実は、名も知られていなかったりする。

誰かのために、自分ができることを、ただ淡々と、人知れずやり続けた人たち。

明治維新は、下級武士が中心となって歴史を動かしたのですが、理念や情熱
だけでは、到底彼らの活動は続きません。活動資金が必要です。

当時、長崎の丸山では坂本龍馬率いる海援隊(亀山社中)に、京都の祇園
では長州藩に人気が集まっていましたが、それは、彼らが毎晩のように
飲んで、食べて、芸妓を呼んで、湯水のようにお金を使ったからです。

志士たちの生活費に旅費、それに遊興代まで工面し、彼らの活動を陰で
支えていた存在が、長崎や下関の商人たちです。

その代表的存在が、下関の豪商・白石正一郎です。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう33.

From : 田渕裕哉(2025/08/07 07:11:09)

2025年8月7日(木)
おはようございます。今朝も熊本からお届けします。

(実験の)結果には2つの可能性がある。
もし結果が仮説を裏付けたなら、あなたは何かを計測したことになる。
もし結果が仮説の反対であったなら、あなたは何かを発見したことになる。
エンリコ・フェルミ

上野公園に西郷隆盛の銅像を建てようと、その発起人の一人に
名乗りを挙げたのも、酒井忠篤です。

西郷の庄内藩に対する姿勢も素晴らしいですが、その恩の返し
方も粋です。

「南洲翁遺訓」には、西郷の哲学がおさめられています。例えば、

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし
人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし」

有名な「敬天愛人」(天を敬い、人を愛す)です。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう32.

From : 田渕裕哉(2025/08/06 06:32:56)

2025年8月6日(水)
おはようございます。今朝は熊本からお届けします。

不可能な物を除外していって残ったものが、たとえどんなに信じられなくても… それが真相なんだ!!
江戸川コナン

高島 鞆之助という薩摩藩士が、西郷にこう伝えました。

「先生の今日の応接は、あまりにご謙遜すぎて、どちらが
降伏するのかわからないようでした」

西郷はそれに対して、こう答えています。

「戦に負けて降伏するのだから、もしこちらの言葉が激しければ、
向こうは思うことも十分に言えないじゃないか」

このときの感動が、庄内の地を癒しました。 >>>続きはこちらから